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2009年8月24日 (月)

季節は秋 邯鄲もないて 

今年は雑用と米国出張で夏がなかった。 久し振りに夜の散歩をしたら少し寒いくらいの星空に邯鄲がエンマコオロギの風の中で鳴いていた。

今年も彼らは無事生き延びた。私の周辺にも随分と住宅地が広がり、あと何年、かれらの鳴き声が聞こえるか。

友から、詩のある英文が届いた。もう友の地も夕暮れが早くなり秋まじかなのである。

The daylight is growing shorter here and it will be Fall soon.  It is a good time of year.

2009年6月29日 (月)

ねむの木がSilk treeとは。 英語も凄い。

ねむの木の花はこの時期の花である。 繊細で優しい感じの花を「ねむの木」と表現した日本語はなんとも素晴らしいと思ったが、英語の表現の素晴らしさにも驚いた。

,ねむの木は英語ではSilk treeとのこと。 英語にもこんな繊細さがあったことに改めて驚いたしだいである。Img_3149_1 Img_3157_1_1 Img_3158_1

2009年2月28日 (土)

モードは「混沌」から春に

モードは、私の好きな「混沌」から「春」に随分と移行した。

山の根雪も随分と柔らかみを増し、少なくなった。Img_2370_1 Img_2375_1

ひばりも鳴き、麦の緑も深まった。

野の花も、よもぎも大きくなった。蓬餅も十分に作れるほどになった。Img_2378_1 Img_2385_1 Img_2401_1 Img_2403_1

なの花も大きなものは私の背ぐらいに伸びた。

もう少しすれば、すべて春モードになり、寒かったことなど嘘のように忘れてしまう。

この冬も友が逝った。気の合う友であったが。

中島みゆきの「春なのに」は少女の歌ではある。が、春の明るさと憂いを余すところなく表している。

2009年2月 9日 (月)

早春。 寒さ、陽光、朽ちる、花開く野の草、この混沌としたものが好きである。

早春は、あらゆるものが混沌とした季節だ。

早くも、青める柳もあるし、未だ赤く枝先を変えただけの柳もある。Img_2327_1 Img_2326_1 Img_2334_1

ひっそりと咲く野の花もある。

それでいた、未だ朽ちはてない枯草もある。Img_2320_1

遠くの国境の山には残雪もあり、それも春の中に霞んでいる。Img_2330_1

古城にも、湖にも光は強いのだが、あくまで光の春であり、湖畔に腰を下ろし日向ぼっこするには寒い。Img_2342_1 Img_2317_1 Img_2333_1

この混沌とした寒くもあり、光に満ちた季節は好きである。

2009年1月31日 (土)

春呼ぶ雨

昨夜は随分と強い雨であった。 近くの川の水かさも随分と増えたとみえて、川岸の枯草は押し並べて流れの模様をとどめている。Img_2278_1 Img_2283_1

蒲の綿を飛ばした蒲の枯れた茎も流れを受けて傾斜している。Img_2293_1

川の流れの模様の下は随分と緑になっている。 麦の緑も深まり、もうすぐ、目にしみる緑になる。

久し振りに本格的に「鉛色の雲」を見た感じがした。新しい鉛は銀色に輝くが、時とともに、いわゆる「鉛色」に変わる。Img_2291_1 Img_2292_1

鉛色の空はこの地の冬の原点である。 それにも最近は抵抗がなくなり、気楽に観察できるようになった。Img_2289_1_3

慣れがそうさせたのか、年齢がそうさせたのか。

2009年1月28日 (水)

春への息吹

大寒だが随分と日差しが長くなった。 夕方が一番短くなるのは12/10日前後であるから日差しが延びても当然ではある。

私はこの大寒の時期に、春の息吹を感ずるのが好きである。 空の雲も随分と丸みを帯びたし、真っ先に春を告げ、初夏も告げるヤシャブも花芽を風に揺らせている。Img_2240_1 Img_2264_1 Img_2261_1

柳も青める前に、赤くなり、青めるのももうすぐだ。Img_2214_1

渡りの鳥たちも忙しくなりだした。Img_2233_1 Img_2249_1

2008年12月21日 (日)

冬至に咲く花 こんなにも。 秋の花、冬の花、そして春の花。 明日からは日が伸びる。 地球の新たなる旅立ち。

今日は冬至である。北半球では最も太陽が見える時間が短い。体力維持と散歩に行くとそれでも随分と花が咲いている。 秋の花のセイタカアワダチソウ。冬の花のサザンカ。年に2度さくバラ。 そして春の花であるなの花ももう咲いている。Img_1936_1 Img_1948_1 Img_1949_1 Img_1945_1 Img_1943_1

花は寒さに弱いとも思っていたがそんなことはない。なの花は雪が積もっても咲く。スイセンもそうである。

冬至では日中は最短になる。が日没はすでに遅くなっている。

もうすぐ、新年である。元旦は太陽と地球が最も接近する日である。 太陽の万有引力を最も受ける時から最も受けにくくなる夏に向かっての地球の旅立ちである。

明日からは日が長くなる。また1/2からは少しづつ太陽の引力も弱くなる。寒くはなるが、それでも、天文学的な新たな旅立ちのスタートのである。

2008年10月29日 (水)

小春日和の湖畔

小春日和は11月や12月の晴れの穏やかな日のことである、その意味では今は小春日和の先駆けの日である。Img_1780_1 Img_1782_1 Img_1775_1 Img_1776_1

小春日和は米語でindian summerという。英国ではこれではないとおもうが。bluebird weatherとも言うらしい。その他、幾つもの言い方はあるが、日本語と異なり、春という言葉は使われない。

summer や autumnなのである。autumnであってfallではない。

英国のsummerは快適なのかもしれない。日本の夏は暑くて、快適で心躍るのはやはり春なのであろう。

それにしても、どうしてindian summerなのだろうか? 

これから来る寒く暗い冬の前の、暖かくのどやかな日差しに春を見出したり、過ぎさしこの春の心の華やぎに心躍らせた春を、見出すのは、日本人なのであろう。

小春日に該当する英語は実に多い。

私がよく使うアルクによれば、indian summer, indian summer day, balmy autumn day,mild late autumn day, warm autumn day, old wives summer,bluebird weather である。

思えば日本語にも小春日以外の表現はあるのであろうか?

2008年10月16日 (木)

太陽の贈り物 天日にほした布団 さつまいもの乾燥いも 稔の時

まだそれほど太陽が恋しい季節ではないが、私にとっての太陽の贈り物を実感するのは天日でほした布団である。

綿で作られた布団を天日にほすと実によく膨らみ、太陽のにおいというか、温かみを感ずる。 子供のころ、縁側にほされた布団の上で随分と遊んだりした。

また、食べ物はさつまいもをふかしてスライスし、それを天日で乾燥した乾燥いもである。乾燥により独特のコクが生まれる。ふかした後のさつまいもとは全く異なる。今年も少しの乾燥いもを作った。やはり独特のコクのある食感になるから不思議である。一日の乾燥でもコクがでるし、日数をかけるとまた異なったコクがでる。それを保管すると干し柿のような粉が乾燥いもの表面にでる。

しかし、ここまでなることはほとんどなかった。それ以前に食べてしまったからである。

干し柿も太陽の贈り物かもしれないが、これには時間がかかり、贈り物との感じはしない。

今年も胡桃を随分と拾った。拾うのは簡単だが、皮をむくとき渋が手に移った。この皮の渋の色は実に黒い。染色の黒にも使えるのではないかと思うほどである。また、この胡桃の殻から実を取るのも中々大変である。

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富有柿も少しなった。多い時はいろんな人に贈るのであるが、それほどは今年は取れそうもない。

ネコジャラシも稔の時を迎えた。何の餌になるのだろうか。

この時期になると霧が山を降りてくる。太陽が恋しくなるのももうすぐだ。Img_1773_1

2008年10月 1日 (水)

地球寒冷化の兆し-2 台風の異常な動き 直感のお話

8/26に地球寒冷化について同様の記載をした。今回はその続きである。やはり、今年はおかしい。

そのおかしさの一部を先に記載したが、台風の動きが何ともおかしい。今、日本に来ている台風15号と、先に来た13号の動きは今頃の台風の動きとは明白に異なる。

日本近海で東に移動し、東北方面に移動しないのである。この原因は北の冷たい強い高気圧の勢力が強いためである。

結果として、本州に上陸しないのは大変ありがたいことではある。

数日前も随分と寒かった。

太陽の黒点は今年は消滅している。太陽の活動が弱いのである。

多分、今年の冬は長く寒いものとなろう。

地球温暖化は本当に二酸化炭素の影響なのだろうか。地震が予知できないように気象も予知できないのではないか。

ただ、資源の無駄使いは良くないのは確かではある。

人の活動が太陽以上に大きいのだろうか? 

人が作った経済に関しては、不幸にもその欠点の影響を受けて世界がまひしかかっているが。

2008年9月20日 (土)

台風の後

台風の後は、なんだかひときわコオロギの音が高まるように思う。 昨夜もそうであった。

コオロギも訪れた再びの平穏に感謝しているのであろうか。

嵐さりひときわたかし虫の声

嵐さりひときわすみし虫の声

2008年8月26日 (火)

2008は地球寒冷化の最初の年か? 全て直感のお話

以下は全て直感のお話である。 

北海道の道南の友からmailが入り、寒くてストーブを焚いているとのこと。 こんなことは初めてで、白樺も異常に元気がないとのこと。 

確か、数日前、8月としての最低気温も観測されたと新聞で見た。 私の方は暑いと思っていたが、急に寒くなった。

地球温暖化が叫ばれているが、寒冷化するとのお話も文芸春秋に東工大の丸山教授も執筆している。 他の週刊誌にも同様の記事もあった。

また、この冬の中国の異常な雪もあった。

日本の今年の夏も昨年の猛暑に比較したら腰砕けのように、8月後半から涼しくなった。

多分、温暖化論者は温暖化すると気象変動が大きくなるから、今年はその影響で低温化していると主張するのであろう。 

50年後に気象を振りかえったら2007年を峠として地球が寒冷化したなんてことを思い抱かせる今日この頃ではある。

ただ言えることは、地球が寒冷化したらそれは今以上に深刻になりそうである。耕作地はへり食糧は減る。暖房には膨大なエネルギーが必要である。

温暖化するにしろ、寒冷化するにしろ、気温が現状を維持するにしろ、無駄に資源を消費して良いわけはない。

やはり、人口爆発の抑制が当面は緊急の課題なのだろう。 その意味では中国の一人っ子政策は恐ろしく人類に貢献しているかもしれない。

2008年8月17日 (日)

急に涼しくなって 邯鄲も鳴いて こんなに大きな月は初めて? それにしても地球の回転の速さは恐ろしく早い

夕方、自転車に乗ったらすごく涼しかった。 そういえば、今日も庭木の伐採をしたが、日中も少しすず風もあり、あまり暑くはなかった。 

庭木には季節外れのモズの親子が来ていた。 雛は一羽であったが元気に親に餌をせがんでいる。 最近、モズの声がうるさいと思っていたら、モズの親子が餌を探しに庭に来ていたのだ。 そのせいか、アブラゼミもクマゼミも余り鳴かない。

思わぬところで邯鄲が鳴いていた。 やはり存在感がないというか、どこで鳴いているか特定にしくい。 

本当に久しぶりに月の出を見た。 驚くほどに大きく、赤い月であった。 見ているまに地平線から離れた。 月の動きは地球の自転速度に近いと思われる。 地球の自転の速度は誠に早いものである。

次の満月に多分、仲秋の満月であろう。

それまで、この邯鄲は鳴き続けるのであろうか。 それとも、そのころにはもう邯鄲はいなくなっているのだろうか。

思えば、9月10日前後、熊野の七里御浜は鈴虫があたりを覆う秋だったとも思うが。

2008年7月19日 (土)

ハスの花の芯の色は光輝く黄金色

ハスの花を間近で見るのは初めてである。 遠くからはよく見てきた。 ただなんとなく綺麗な花だと思っていた。20083_1

今回、間近で見て私にとって幾つもの発見があった。 その一つは写真のように、花の芯部が実に光輝いていることの発見である。 こんな艶やかな黄金色をハスが発現するとは全く思いもしなかった。 回りの清楚な桃色とは全く異なったまさに光輝く黄金色である。

金閣寺の黄金色も実に華麗ではあるが、この黄金色には発光しているよう雰囲気もある。

発光するというか妖しい色にはヒカリゴケがある。昔、八ヶ岳?富士山麓の岩の隙間の暗がりでそれを始めて見た。 研ぎ澄まされた光と闇の静寂な空間がそこにあると感じた。

このハスの輝く黄金色にはあれほどの静寂さはない。 もっと艶やかで、香り立つようでも、光を反射するようでも、発光するようでもある黄金色である。 宵待ちの黄色とは異なりもっと輝いている。 タンポポも艶やかな黄色であるがこれとは又、別の黄金色である。 

それにしても、冬のハスの田んぼにぼくねんと枯れ、たたずむハスの実がこれほど輝いていたとは想像することさえ及びもしない。

2008年7月15日 (火)

夏と黒と赤 ハグロトンボ クロアゲハ ハイビスカス ソルダム

ハグロトンボが散歩道にいた。 乾いた夏の道にひらひらと羽を頼りげに動かし飛ぶハグロトンボはこの世のものとも思えぬほどに、存在感がない。 それでも取ろうとして手を伸ばすとサーット逃げる。 なんだか夏の幻のようでもある。 逃げるという意味では、トカゲは実にすばしこい。 動いていない時の姿からは全く予想もつかない速さで、これも乾いた道を横切る。

木陰のクロアゲハも夏のチョウである。 緑陰の中を飛ぶクロアゲハもなんだかこれもこの世のものとも思えぬ存在感があるというか、ないというか、何とも不思議な空気をひきつれて忙しく、飛び交う。

夏は黒がよく似合う気もする。 最近、日傘もクロが増えた。 太陽光を反射する点からは白の日傘のがいいのだろうが、黒の日傘には、緑陰のイメージがあり、なんだか涼しげに見える。

また、夏には赤もよく似合う。 写真は家のハイビスカスである。 何年も冬を越して私の背より高くなった。 真夏の太陽に対抗する強さと美しさがある。Img_1360_1

夏の赤を代表する果物は、ソルダムである。あの果肉の深い赤色は高原の夏の美味さが凝縮したものである。

冷やした透明色の赤色のスイカも夏の色と食べ物である。

2008年7月 2日 (水)

地球温暖化は二酸化炭素が主原因なのか? マスコミももっと冷静に

地球温暖化の主要因として人の活動に起因する二酸化炭素が言われているが、本当なのだろうか。 私は大いに疑問である。 その疑問は私の体験に基づく。 私は化石を掘るのも好きである。 私が掘ったワニの歯の化石などは県の博物館に寄贈した。 私の住んでいるところは冬は寒く、この歯のワニは生息できないとのことである。 つまり、日本人がいない頃、この辺は随分と温かかったのである。 いろんな本を読むとクリーンランドなども1000前は随分と温かかったとのことである。

最近、文芸春秋、またサンデー毎日にも、二酸化炭素が温暖化の原因でないとの記事も出ている。

また、The great Global warming swindleは世界の著名科学者が、二酸化酸素は温暖化の主原因ではないとしている。

この内容はVTRで見ると実に論理的である。 過去のDataの見方も確かである。 先月かNHKは温暖化の特集をした。

ある面でまやかしと思い、途中から見るのは辞めた。 その理由は単純である。 つまり、恐ろしくも、二酸化炭素原因仮説の専門家に、素人が対抗して、専門家が議論に勝てるようにしているのである。

もし、本当にNHKが二酸化炭素説を取るのであれば、こんな茶番劇はしないでほしい。もっとDataで説明すべきである。 こんな茶番劇をするNHKに金を払うのがあほらしくなった。 私はNHKに金を払うのは当然とも思ってきたが、この余りに科学を馬鹿にするというか、科学に未知なNHKに驚きあきれるばかりである。 片方に専門家を持ってきて、NHKの主張に合わない方に素人を持ってきて、議論させている。

NHKに出て議論した専門家もなにを考えているのだろうか。こんな茶番劇に参加して自分の名声があがると思っているのだろうか。 子供相手に説明するのはいい。 自己主張するのはいい。 しかし、議論するのは困る。 勝ってあたり前である。

馬鹿なマスコミの代表例をNHKは演じた。 

また、特に、The great Global warming swindleは優れたものであり、こうしたもので提起された二酸化炭素が原因でない説に対して、しっかり検証すべきである。

過去の地球の気温と二酸化炭素の濃度の傾向が近似しているのは確かなようではある。しかし、ここからがポイントであるが、温暖化が先に発生して、それにつれて二酸化炭素が増加したとの見解がある。 これはdata的に証明できるとのことである。

もしそうであれば、二酸化炭素と温暖化には大きな影響はないことになる。 また二酸化炭素が増加しても寒冷化した時期もdataとして存在する。

こうした本や文献は、よくマスコミがある反対のための本や文ではない。

今後も温暖化と二酸化炭素の話はマスコミに出てこようが、しっかりdataを読んでTVなどには出してほしいものである。

 

2008年6月 2日 (月)

梅雨間近 蜘蛛の子 ウコンの芽 ハイビスカス 春の終焉 世代交代 少し待ち遠しい梅雨の山行

庭の大きな菜の花の幹も枯れ、色んな庭木も茂り、山芋のツルが伸び放題なので庭木の伐採をした。

蜘蛛の子の集団がいた。 我が家にどこかから移住してきた女郎クモの子供がまた生まれた。 蜘蛛の子を散らすということわざのとおり、さっーと散るがまた戻ってくる。 

我が家の庭の女郎クモのあの艶やかな模様はあまり見かけない。 実にカラフルで繊細であはある。

一方、ウコンは東京駅前の昔の大丸からかってきたものと、石垣島から買ってきたものが植えてある。 その芽が無事に出てきた。 毎年、ほとんど同じ時期に発芽する。 秋に収穫し半分は食べて半分は来年の種にする。 

ハイビスカスも随分と葉の色を深くしだした。 鉢の小さなものを買ったがうまく冬をすせるようになり高さも2m以上になった。 ただ今年は春先に少し早く屋外に出したため、少し新芽が出るのが遅れている。 それでももう少ししたら深紅のあでやかな花を楽しませてくれる。 

もう6月、半年もほぼ終わった。 庭の整理をして改めて思ったことは今の時期は春の終焉であることである。

春の花である菜の花は実になった。 また、テントウムシの蛹が随分と庭木にいた。 私は秋や早春にテントウムシを山や川原から取ってくる。 それが子供を生み、さしてそれが今の時期、成虫になる。 

6月は半年ではあるがある生物にとっては一生を終える時期なのかもしれない。dog yearなる言葉もあるが今の時期は麦秋と言われるように、終焉の時期でもあるのかもしれない。

これからの梅雨は私の住むところでは蒸し暑いだけの余りに好きな時期ではない。 

しかし、山奥の温泉地や別荘で、暖炉にマキをくべながら、その前で友とホトトギスやカッコウの鳴き声を聞きながら雑談して過ごすのはなんとも素敵なものである。

ホトトギスが会話の話題になったりして。 

 

2008年5月15日 (木)

この季節 すべて素晴らしいが また過酷 にっくきカラス

この季節の青空の下の木陰は快適である。まだ蚊も出ていないし、日も長いし、夕方の早い時期から飲むビールも誠に美味い。Img_1067_1

今年も庭に野鳥が巣を作った。 またカラスがそれを襲った。 幸運に1羽のヒナは残ったので、巣の周辺に防護を作った。 防護の一つはナイロンテグスである。 カラスの通りそうなところにそれを張った。 モズの飛行ルートとカラスのそれは異なるからである。 また巣の上にショロの葉をかけ巣を見えなくした。

その作業中にモズの親は大胆にも私の手を嘴でつついた。 わが子を守る親鳥の健気さにはこの時期、いつも恐れ入る。

家の近くにはケリもいる。トンビやカラスが来ると勇敢にもそれを迎撃して追い払う。 親とはそんなものなのかもしれない。 それにしてもカラスの強さ、調査力、頭脳には恐れ入る。

もう少ししたらビワがなる。私が取るより早くカラスが来る。ヒヨドリも来る。 秋になるとカキもなるがこれにもカラスとヒヨドリが来る。

すべてが快適なこの時期、強烈な生存競争が開始されているのだろう。 小さなテントウムシはアリマキを食べ、それは鳥に食べられ、小さな鳥の雛はカラスやヒヨドリに食べられる。

もう少ししたらホトトギスやカッコウも来る。 彼らは卵を鶯などの巣に生み、自分では育てない。

人間でも生みっぱなしで児童虐待など、育児を放棄する親もいる。 また他人に生んでもらおうという親も最近はいる。

何とも不思議としかいいようのない生き物の世界ではある。 ホトトギスやカッコウは本当にどうしてああした方法を確立したのだろうか。

赤っゃんポストも別の面のそんなものなのだろう。

人にとって快適な時節はやはり多くの生き物にとっても快適で、それゆえ、また過酷なのだろう。

2008年5月 8日 (木)

夏の呼び声 五位鷺

昨夜、五位鷺の鳴き声が夜の中に聞こえた。 ギャーという鳴き声である。最初、この地に来てあの鳴き声に驚いた。 私には初めての鳴き声であった。 鳥だろうが、夜なので見えないし。

いつの時か、それは五位鷺という鳥であることを知った。 夜が快適になる初夏にそれは私の家の周辺に飛来し、夜の中に夏の来訪を告げる。

もう少ししたらホトトギスも来る。 梅雨の前の快適な束の間の初夏の夜である。

2008年4月23日 (水)

値千金の後光さす昨夜の月 いい季節

昨夜の月は幾分赤みかがり、少し心配な月であった。 双眼鏡で覗くと月の赤みは薄れ周囲には後光が感じられた。 多分、大気中の花粉や黄砂などの塵が後光の原因なのではあろうが。

最近、月が赤みを帯びる日が多くなったように思う。黄砂の影響なのだろうか。花粉の影響なのだろうか、地震の影響であろうか、いづれにしろ少し心配ではある。 

それでも昨夜の月はほのかに後光が差し誠に値千金の月であった。

月の高さも冬の月に比べて随分と低くなった。 街や近所の家にも随分と花ミズキが咲きだした。 

これから梅雨までが束の間の晴天は素晴らしく快適な季節である。 

2007年9月29日 (土)

長い鉛色の始まり 曼珠沙華が咲いて

急に涼しくなった。 晴れた涼しさではなく、空は心底から鉛色である。 季節が冬型にこの秋で最初に代わった。 

心が冷える鉛色の空が始まった。 これから3月までこの空がベースとなる。 時たま晴れることはあるが。Img_0378_1 Img_0379_1

これからのこの鉛色の空は嫌いである。

以前、金沢で越前焼を買ったら、そこの店のおかみは、身近な出来るところから明るくするとの発想が九谷焼にはあるとの、説明をしてくれた。Img_0374_1_3  この鉛色の空は北陸の空と同じである。 九谷焼はそうした暗い空の下で、少しでも出来るところから明るくするように、あの煌びやかさを付けたのだとの、ことであった。

岸近くに曼珠沙華が咲いている。 暗い鉛色の空のもと、際立つ赤である。 よく見る少し色が違う2種の花があった。

造詣のすっきりした実に凛とした華ではある。 が、ハイビスカスの開けっぴろげの明るさはない。 これだけの造詣でありながら恨みに近い感が漂うのは鉛色の空のせいなのだろうか。 それとも、彼岸花という名前や毒があるということを認識しているからだろうか。造詣そのものがそうさせるのであろうか。 

沖縄や熊野の明るい群青の空のもとにも、この華は咲くのだろうか。 

2007年9月27日 (木)

残夏なれど、はや冬の使者

今年の夏は未だ残っている。 気温にも心にも。 それでもはや、冬の使者は来た。 確かに、もう山には初雪が降る頃ではあるが。Img_0372_1_1

学生時代、前期の試験が終わるのが9月末であった。 その後、山に行き夜来の雨は明け方には雪になったことがあった。

今年は、このまま夏が続いて、秋がなくて、木の葉がハッサバッサと落ちて、冬になるのだろうか。

遠来の客は、この地のこの暑さをどのように感じているのだろうか。 産卵し子育てに過ごした遠方も暑かったのであろうか。

2007年9月 7日 (金)

こんな安定感のある虹は初めて 我が思いが通じるか

Img_0269_1 こんな安定感のある虹を見たのは初めてである。 そして驚くことに虹が2層になっている。

こんな虹であれば、下の虹に乗り、上の虹に掴まり、希望のところへ行けるようにも思えるほどしっかりした虹であった。

虹の架け橋という言葉はよく聞くが、この虹であれば架け橋になるようにも思えた。

我が思いの架け橋になってくれたら。 そんな思いを抱かせる虹であった。

2007年8月25日 (土)

残夏 秋の虫の夕暮れ

昨夜、駅からの帰り道、コオロギに混じって鈴虫も甲高いマツムシも聞こえた。 青マツムシも鳴き出していた。

邯鄲が聴きたくなり、琵琶湖への路を自転車で走ったところ、それはいた。

単調で、何処で鳴いているか分らないような、宙に浮いているようなとらえどころがない鳴き声が聞こえてきた。 

今日も残暑、夏は残っている。

月も随分と高くなった。 

遠くに花火も見える。 近江の残夏である。

2007年8月21日 (火)

異常気象か? こんな雹は初めて

一昨夕、昨夕と強い雷があった。 特に一昨夕のそれは極めて強かった。 私は雷の時のコロナ放電を見たくて避雷針を見ることがある。 一昨夕はたまたま家にいたので避雷針を望遠鏡で見ていた。 しかし余りに強い雷に恐れを感じ、見るのはやめた。

この地の雷の強さは北関東や濃尾平野などと並び、日本でも有数とのことではあるが、それにしても強かった。20070819

強烈な雨ではあるが、音が凄いので見ると、私が初めてみるほどの雹が降っていた。

屋根に当たりそれが跳ね返る。 私は30年近くこの地に住んでいるがこんなことは初めてである。 

異常気象というが、なんだかそれが実感できたように思った。 今年は梅雨が長く、夏の暑さはしれていると思ったが、暑さも強烈。 長い梅雨で少し救われたかもしれない。

もしかしたら今年はきのこが近くの山で取れるかもしれない。ただ最近の暑さできのこの菌が死ぬ心配もあるが。

雷は気候の変化の時期に出やすい。 暑い夏ももうおしまいでもある。 夏の終わりはいつも物悲しい。

友の言葉を借りれば、夏が終わることはSad thing。 彼に久しぶりにmailでも出してみるか。

2007年8月16日 (木)

残夏 残花

今日も暑いが生き物は確実に夏が残り少ないのを知っている。 誰に教えを受けたわけでもないのに、夏の終わりを知っている。

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宵待ち草の花もついに最後になった。 花は下から咲き出したが、今日、頂の花が咲いた。

もう明日からは花は咲かない。 宵待ち草の花はもう少し大きいと思っていたが。

いつの間にかエンマコオロギの鳴き声も増えた。

残夏は最も寂しい時でもある。

今年は何人もの人を送った。 

それにしても不透明な世の中になった。 金融工学の発展により経済が安定化するものと思われたが、どうも逆のように思える。 金融工学でリスク管理が可能になると思っていたが、実は逆のようである。

人を安定化させるために宗教はあると思ったが、それもそうではないらしい。

新しい哲学、新しい経済学が必要のようである。

2007年8月 6日 (月)

秋の足音

夏草が炎天に萎れる中で聴くキリギリスは夏の音である。 幼き日、兄にせがんで取りに行った。 キリギリスの音を聞くとあの夏の日を思い出す。

昨日の夕方、近くを散歩したらエンマコオロギが鳴いていた。もうそんな時期なのだ。

日も随分と短くなったし、秋が見え隠れするところまで来た。 秋も素晴らしいが夏が去ることはやはり寂しい。

USAの友の言葉を借りれば、Sad thingである。 この言葉を聴いたとき少し大げさであると感じたが、なんとなく分る気がする。

今年は何人かの訃報に接した。私より若くして亡くなった友もいるし、100歳で亡くなった尊敬する縁戚者もいる。

光り輝いていた小田実も、阿久悠ももはやいない。

残暑に見る熊野の花火はどうなんだろうか。 花火が終わって、漆黒の浜辺であの浜に打ち寄せ、引くときの波音を聴いみたい。

そのとき、私の心はどのように思うのだろうか。

それでも庭のクマゼミは相変わらず暑い暑い鳴き声で夏を歌っている。

残暑まじかな盛夏である。

2007年7月27日 (金)

ヒグラシを聞きながら 全てBlue Haze

今年の夏としては初めて紀伊長島に魚を釣りにいった。 釣れた魚は大型のカワハギと多数の小さなグレとメバルである。 グレは大体逃がしてきた。 

日中は晴れて暑かったが、夕方は急に曇り、ヒグラシが鳴き出した。Img_0196_1_2 磯から岡に上がると涼風も少しそよいでいた。

熊野灘と空も全てBlue Hazeの中に渾然一体化していて境も見えなかった。その中にヒグラシだけがこだましていた。 これも昔からの夏まだ浅い熊野の風景なのかもしれない。Img_0194_1_4

ツヅラト峠も晴天の時はこの島々の向こうに見えるが今日は、それもかすかに見えるだけである。

カワハギの肝はやはり美味い。

2007年5月15日 (火)

この時期 製茶の時期 幻の紅茶

この時期、気が向けばお茶を作る。 私の作るお茶はクコ茶と緑茶とウーロン茶である。クコ茶はもう20年以上前から作ったりしている。 家の生垣にクコを植えたらあっという間に広がった。 それを使う。今年も作った。

私が作る緑茶はなぜかしら苦味が出ない。色も出ない。私の緑茶の製法は子供の時のみまねである。 子供のとき親が作ったお茶は苦味があり私は好きではなかったがいかにもお茶という感じがした。 もしかしたら土壌の影響かも知れない。 土壌の影響は作物の味に甚大な影響をもたらす。

私の故郷のたけのこはまづくて食べられたものではない。関西はたけのこが美味いとの話を昔も聞いていたが関西人は如何なる嗜好の持ち主かと当時は思っていた。 関西に住んでもたけのこは食べなかったがある機会に食べて美味さに驚いた。 関西のたけのこは「いごさ」がない。 実に美味いのである。 それから土壌と作物の影響を気にするようになった。 関西の山菜には苦味が全般に少ないのである。これは土壌の影響かとも思っている。 

草木の味は人にのみ影響を与えるものではなさそうであることも最近分かった。ナメクジも嗜好がありそうなのだ。 石灰を多く含んだ水でランを育てるとナメクジは花芽を食べないのである。 それまではやっと咲きそうになったランの花が食べられることが多々あった。 なお、味覚か石灰のナメクジへの作用の影響かは不明ではあるが。

お茶の話にもどるが、緑茶を作り缶にいれ、次に飲もうとしたとき、なんとも素晴らしい香りと色の紅茶になったことがある。 実に素晴らしい香りで色も見事な紅茶であった。 そんな素晴らしいお茶はかって飲んだことも見たこともなかった。 しかし、その再現はしていない。 まさに幻の紅茶である。

お茶は年に一度の作物であり、気まぐれに作るのでは中々素晴らしいものは出来ないのだろうし、なんせ、年に一度であり試作する機会も少ない。

ウーロン茶に関しては比較的均一な味のものは作りやすい。私のウーロン茶はとろみをもったさっぱりした味がする。 飲んだ後、すっきりとする。 それは渋みも苦味もなく余韻もなく、もしかしたらまさに美味い水の味かもしれない。

緑茶もウーロン茶も同じ葉から作られるものであるが、これほど味に差があるとは、生物は不思議だし、料理も不思議だ。

2007年5月10日 (木)

値千金の宵闇 

もう宵待ち草の花が咲いている。 小さな宵待ち草の花である。 もうそんな季節になったのだ。 駅からの帰り道、大きな星が異常にというほどに輝いている。 星の位置からして多分、惑星で木星か金星だろう。 余りに大きいので夕食後、双眼鏡で見ようと家から少し離れた街灯のないところに行った。

しかし、驚くことにその星は天と地を分ける山に近づいていた。 地球の自転の速度は驚くほど速いのだ。 

それでも蛙が時の流れを全て無視するように実に喧しく田んぼに鳴いている。 騒々しい音ではあるが、暗闇に全て吸い込まれ静寂さも作ってもいる。

街灯は遠くにあるが、闇は光も音も、時間もなんだか全てを吸い込んでいるようにも思える。 

時々、こうもりが飛ぶ。 私の知らない鳥がカー、もつとひきつれたガー?という鳴き声をしながら飛んでいるようだ。 この声は夏を告げる声のようにも思える。今の時期はまだ蚊はいない。

値千金の全てを吸い込む初夏の闇である。

2007年3月 3日 (土)

もくれんも花開き

家の梅も目白やヒヨドリが花を散らしだした。 もう梅は花が散る時期なのかもしれない。杏の蕾もここ数日で随分と赤みを増した。 もう少しで花開く。

会社の近くを昨日の昼食の後に散歩したらもくれんが花開いていた。 早い春である。

明日は久しぶりに群青の熊野灘を見て見たい。 もう鶯も鳴いているかもしれない。

それにしても、肩寄せ合って遠い目で群青の熊野の空と海を見たのは何時のことであったろうか。

 

2007年2月18日 (日)

もう今年の冬は戻らない 少し可愛そうな今年の冬

庭の梅にも花が咲いた。 昨年は3月に入って咲いたから随分と今年は暖かい。 数日前は寒かったが今日の午後はそれも緩み、もはや冬の寒さは無い。 

庭の藪椿も随分と咲きだした。 曇天が嫌いな私は当地の冬は嫌いだが、それでも今年の冬は少しかわいそうにも思える。 

もう少しすれば鶯も鳴くだろうし。 

春はうれしいが、やはり余りにか弱かった今年の冬は、やはり可愛そうだ。 しかし時間がそうであるように、もはや今年の冬が戻ることはないだろう。

2007年2月10日 (土)

春の足音 小川のせせらぎ

家から駅への道に小川がある。 夜来の雨を受け、小川のせせらぎの音も軽やかになった。 川のせせらぎの音は春の足音でもある。 

蝋梅が近所の庭に咲いていた。ことのほか明るくて、夢の春色の空間を作っている。

小川に遊ぶ鴨が少なくなった。 彼らは暦に近く行動している。 雛たちが今年の晩秋に長い飛行に耐えるには早く巣立ちしなければならないのだろう。 立春になると春まだ浅い、北へ旅立ちを始めているのだろう。

藪椿の花も咲き出したが、ヒヨドリがついばんだりしていた中々綺麗に咲かない。 庭の梅の花ももう少しだ。梅がさいたら杏が咲く。杏が咲くとヒヨドリがまたその花を落としてしまう。

もしかしたらこのヒヨドリも庭の木で生まれたものかもしれない。よく野鳥が庭の木で生まれる。成鳥になるまではひやひやものではあるが。

驚くことに熊野からとってきたゆりがもう芽をだした。 あの群青の空と海と、深緑の原野に可憐に白い花を開く、ゆりがもう芽を出した。 随分と増え、昨夏は楽しませてくれた。

遠い潮騒と、老婆たちが桜の下で環になって踊る熊野の春ももうすぐだろうし、遅い我が家の春ももう少しだ。

2007年1月30日 (火)

この陽光は 何処からか

今日の光の春の陽光は何処からくるのか。 明るくて明るくて。 昼飯はレストランをやめて公園で弁当を食べた。

この燦燦と降り注ぐ春の陽光は、4月の初めぐらいまで、もしかしたら太平洋側の海の近くでのみ、見られるのかもしれない。

春の浮き立つような明るさが隅々まである。 春霞でもなく、五月晴れでもなく、小春日和でもなく。

光の春の日差しだ。 昨年、3月に、熊野でも見たし、三島でも見た。 三島のときは桜も満開で、春爛漫であったが。

太陽の高度と、水分と、大気のダストがある条件のときにのみ見られるのかもしれない。

これから、5月まで。 この華やか春が見られる。

来週、立春。

藪椿が咲き、浜大根の花が咲く熊野の春ももうそこまで来ている。 

2007年1月 8日 (月)

巡る時間に合わせて 神から与えられし才能の有効活用

地球の公転、自転の中で全ての生命は息づいているのだろう。 不思議なことにアキアカネや鮭のように全く親の教えを受けずに遠い旅をしてまた元に戻ってくるものもいる。 またカッコウのように他の鳥に自己の子供の飼育を任せるものもいる。 

親をしらないアキアカネの行動も凄いが、育ての親である鶯などを知っていてそれを真似ないカッコウも凄い。育ての親から学ばないのであるから。

人の子は親から学び、そしてそれを越えることもある。

植物は己から学ぶのであろうか。それとも遺伝で行動しているのであろうか。枝の張り方などをみると植物は自己で学ぶようにも思えなくも無いが。

動物も植物も巡る季節の中で花を咲かせ実を付ける。 全て巡る季節の中で。

人のみ季節を越えて繁殖する。

人はやはり通常の動植物と異なり、多くの才覚を神から与えられたのであろう。この地球の管理者として才能を与えられたのであろう。 そうであればやはりこの緑の地球を守らねばならない。 

それにしても神はどれほどの才覚を人に与えたのであろうか。温暖化が問題であれば地球をもう少し太陽から遠くにし冷たくするほどの才覚をあたえたのであろうか。

2006年10月 7日 (土)

今年最初の冬型気候 長い冬の始まり

この地に今年初めての冬型気候が来た。 つい最近、冬鳥の鴨が来て驚いたが、いよいよ長く暗い冬に突入する。

この地のこの時期は、冬型になると、晴れ間と雨が交互にくる。 晴れたと思って布団を乾すと急に雨が降る。 そしてその雨も直に止む。 洗濯物を入れるとまた晴れる。 しかし出すとまた雨が降る。 妻はこの現象を未だに体得できない。 私は山に昔、登ったので雲の動きにはかなり神経質で、それで天気の予想をするようになった。

この短時間の晴れと雨の繰り返しは何に起因するのであろうか。 偏西風とコリオリの関係のようにも思えるが。

冬型になると熊野が恋しくなる。 あの青を越えた藍に近い空と透明で藍色の海は素晴らしい。 今日もかの地は冬晴れなのであろうか。

2006年10月 4日 (水)

はや冬の使者

今朝、近くの川に鴨の一群が来ていた。 はや冬の使者が来たのだ。 例年今頃には来るのであろうか。

今の時期は初雪に遭遇する時期でもある。 学生時代の頃、前期の試験が終わる今頃、よく山に登った。 山に霧がかかっているなと思って翌朝見ると雪であったことがあった。

2000mくらいの山になると初冠雪がこの時期になることがあるのだ。 あと一月もすると場所によってはスキーの季節になる。 

山では長い冬の始まりなのだ。

この間の日曜日、近くの山に登ったら山道に蛇が結構いた。 蛇と会うのもこの時期である。 かれらも長い冬に備えて日光浴をしているのかもしれない。

2006年9月13日 (水)

雨はいつも朝から この不思議

当地には土用の朝曇との言葉がある。 つまり、朝は曇ったり雨だったりするが日中は晴れることを意味する。

昔、UFOが盛んであった頃、双眼鏡で夜空を観察した。 その結果、分かったことが幾っかあった。

1. 夏は日中に雷雨になることが多く、その後晴れて、夜は曇ることが多い。つまり、午後      湿度が上がり、その湿度は夜の雲になり夜も気温は冷めない。

2.一方、冬は日中は晴れても長続きせず、すぐに曇りとなる。しかし、夕暮れと共に晴れてくる。つまり、冬は放射冷却が生ずるので朝は寒くなる。

3.雨や雪は不思議と朝方に降り出す。それも日の出か少し後に降り始める。通勤に影響ないなと思っていると、通勤時間やその少し前から雨や雪が降り出す。 今日もそうである。 なぜ、太陽が出で少し高くなるころ雨が降るのか不思議である。

なんとも厄介な地域である。 20年ほど前、理科年表で各地の気温を見たところ、京都の8月の日々の最高温度の平均が日本で最も高かった。また、同様に日々の最低気温の平均も京都が最高であった。 昼も夜も暑い夏の京都が納得できた。 冬の底冷えも放射冷却から納得できる。

Dataからは千葉の銚子は夏でも涼しく快適のようであるが、残念ながら行ったことがない。

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