今回のアメリカ行きは先方からの要請であり、何としても成功せねばならない仕事であった。USAは私の恩師みたいなものである。それからの要請であった。 結果として巧く行った。成功を見て改めて彼らの態度も少し変わった。実験をしたアシスタントも先方の担当者もえらく喜んでくれた。
海外での仕事は日本人をある面で代表するところがある。失敗するとやっぱり日本人は?となりかねない。
中川の飲んだくれみたいな行動は実に日本人の評判を落とし、私のような市民にまで迷惑を掛ける。 国賊と言う言葉があるが、中川などはその例である。
今回も色んな人に巡り合った。KIXからの日本人は頭脳明晰、英語も堪能な素晴らしき女性であった。また、帰りに会社が用意してくれたタクシーの運転手は既に退職者。以前はPCの仕事で世界中をまわったとのこと。ギリシャ人がもっともよく、フランスが最低。今は週に2回、主に介護関係のタクシー運転主とのことであった。
また、私が行ったUSAの田舎町で初めて日本人に会った。ホテルの近くで風景の写真を取っていると若い女の人が場所を聞いてきた。私が知らないと答えると、その人は日本人ですと日本語で答えてきた。純粋の日本人ではなく二世か三世である。
こんな田舎町にも日本人がいるのに驚いた。ただ、この地は快適な土地なので、NYやワシントンから随分と移り住む人が増加しているとのこと。
帰りの飛行機から見事な冨士山が見えた。
一枚目の写真はサンフランシスコでの花である。 多分日本にあるのと同じと思うが色の深みと透明度が異なる。 私は宝石のようにも感じた。
二枚目はワシントンダレス空港の近くのマリオットであり多くの人になじみのある写真である。 朝早く出発したら、コオロギがここでも残暑を奏でていた。
冨士山の上の写真は私が行ったワシントンの田舎の朝の光景である。
個人でアメリカに行くと改めて格差社会であると思う。航空機のチェックインがそうである。ビジネスクラスだと極めてスムーズ。チェックインする場所も搭乗口も異なる。やはり金が大事な社会なのである。
それはさておき、今日は大陸を横断し、東部の田舎町まで行く。サンフランシスコから飛び立ち、何時間かするとコロラド渓谷が眼下に広がった。
これを見て感じたことは大地とは何とも脆いものであるということである。ある面で極めてマイルドな水に削り取られてしまうのである。
子供の時、ネズミのお話があり、誰が最強かとのお話があったが。
アメリカ大陸は実に広い。この山岳地帯を過ぎるとただただ平野が続く。
森林が見えだした頃、中継地についたのであるが、それがいけなかった。米国でのトラブルは慣れてはいるが、今回は飛行機に接続する接続橋が飛行機に届かない。
なんやかんやしているうちに接続機の時間に近づいたので、その旨連絡したら、接続機と連絡を取ってくれた。
結局、橋がついた車が来てなんとか降りられた。間に合う可能性もあるので空港内を走ったが結局接続できなかった。
そのあと、現地の空港で私を待っている外人に電話をするのにも少し手間取った。サーヒースセンターに行けば、外線とつながるとのことで行ったが、それはダメで会った。航空会社の責任で遅れたのだからと言ったら、線がつながっていないとのこと。コインで外線をしてくれとのことなので、電話の掛け方を知らないから教えてくれといったら、自分のケータイで電話してくれた。
そんなことで、2時間遅れて飛行機に乗り、田舎町についたのは夜の8時すぎ。早朝便にのり夕方にやったついた。広いアメリカではある。
明日からは本格的な仕事である。日本人は一人、日本人の能力も問われかねないので何としても成功しないといけない。
酔いどれのあほな中川正一みたいな男がいるから海外の日本人もそれなりに大変だ。
大阪からアメリカに直行する航空機がUAのみになった。 少し不便であるがUAでサンフランに行き、次の日、大陸を横断することにした。
もう10年以上前の前回のサンアランシスコは雨降る12月であった。今回は晴天であったが夏のスタイルでは少し寒いぐらいであった。
驚くことに、ハマダイコンも咲いていた。日差しは強いのだろうが、涼しいので夏に咲くのかもしれない。
そのほか私の知らない花が多数咲いていた。
夕方になると山から霧が降りてきた。なんだか高原の夏の雰囲気である。この地で生まれたアメリカ人にきいたら夏は何時も涼しいいとのこと。
何とも素晴らしく快適な街である。明日は早く起きて、大陸を横断して、田舎町に行き、本格的な議論である。
昨日、帰宅すべく駅から歩いていたら、思わぬところでホタルにあった。青白い光で、私の網膜に残像を残しながらいかにも頼りなげに飛んでいた。大きさから多分平家ボタルなのだろう。
もっといるかとも思ったが、数匹いただけであった。
ホトトギスもきた。ビワも熟し、ウコンも芽を出し、梅雨の時期である。
梅雨寒の山の温泉にでも行き、ワインでも飲みながらホタルでも見てみたい気分である。
薄紫色の季節である。
栃の木の花から桐の花を思い出した。 栃の花を最初に見たのは、ジュネーブのレマン湖のほとりであった。 広い芝生の中でスックトと立ち大らかに咲いていた。 それは残雪のアルプスともよくマッチしていた。思わぬことから次に見たのもジュネーブで大きなモンブランを借景にしていた。 これも思わぬことに銀座でもそれも見たが木も小さくてもう少しであった。
桐の花はバージニアの道沿いの山中に見た。薄紫色の見覚えのある花だと思ったら桐の花であった。
フジも薄紫だし、私の名前の知らない小さな花も薄紫である。
気節の色はうす紫色である。
昨日はこの春としては最後の熊野灘の見える岡に行った。 もう随分と初夏の感じがする。春を告げる梅は新緑に変わり、ヤシャブもすっかり緑色を深めた。さくらも随分と散り、新芽が出た。一枚目の写真にはヤシャブ、新緑の梅、桜が写っている。
また、クサギの新芽も出ていた。これであれば確かに食べられそうな気もする。
ところで、この岡は太平洋に面してる。 ということは南海地震があると隆起することを示している。
その地層が実に興味深い。堆積層が多数ありそれが実に多彩である。地球の営みそのものが見られる。この堆積層は薄い層あり厚い層もある。
そしてその下は黒い層の岩石からなっている。この黒い層は那智ぐろなどの黒い岩と同じものである。それにしても地球の営みはすごい。昔の堆積した泥などを実に硬い岩に変性してしまう。
昔、アルプスに行ったとき岩を探したが残念ながらそれらしきものは見つけることは出来なかった。
アメリカのナイアガラではサンゴのついた石灰岩が見つかった。 友のアメリカ人にその話をしたら彼もアメリカの地層を勉強していてそのことは知っていた。
私は地理も地球の構造も好きだし岩石も好きである。この地はそうした意味からも面白い土地でもある。
ここへ行くのは家族で行くときは車で行くが一人の時は青春18切符を使う。
昨日の帰り、関東から来られた老夫人が居られた。私もそうであるがこの切符を利用する人は最近は老人が増えた。大病を乗り切ったとのことで、実に若々しく年より随分と若く見えた。 年3回の青春切符を楽しんでいた。
当初の予想とは異なったかもしれないが、私はこれは成功した企画であると思っている。私の場合、日帰りが多いが皆さん長距離旅行をしている人が多い。
高齢者の意欲の体力増進、意欲の向上に実に効果があると思った。 私の場合、この長時間の旅にたれたことが海外出張を楽にさせてくれたように思える。アメリス、ヨーロッパの12,13時間の長いフライトも気にならなくなった。
経済学には対策に付随する予想外の効果が発揮されることに関する学問がある。この切符はまさにそうであろう。
高速料金が安くなった。これによりナビ関連は上向こう。また車も少しは回復しよう。ガソリンの消費も増えよう。しかし旅館に泊まる人が増加するか否かは今後の結果に待たねばならない。
高速道路、新幹線の拡充により地方が予想に反して衰退したのもまた事実ではある。
その意味での一番の心配は地方都市の一段の衰退である。地方の特に若者が大都会や地方の中核都市に買い物に行き、地方が更に衰退する可能性も否定しきれない。
フェリー業界には保障はでるようであるが地方の商店のさらなる低落には保障はないであろう。
結局、地方の商店が嘆くより、都会から多くの人が地方に来るように地方を都会とは別の文化にするきっかけになる必要があるのだろう。
その意味では大都市圏の高速料金が値下げされないのは失策だろう。追加対策として都会から田舎に向かう高速料金を下げることが有効であると私は思う。
白山の山頂を見たのはもう40年以上も前のことである。立山の山頂から見たそれは青い空にいかにも白山という名前のとおり、真夏なのに随分と雪を山体に戴いていた。
それは近くに見える薬師とも、また、繊細な感じの槍ヶ岳ともことなり夏の日の元でひどく長閑な山容であった。
それから何度も北陸にはもっぱら仕事で行った。しかし、白山を平地から見ることはできなかった。地元の人にこの方面に見えるのですがと、残念そうに指でさして教えてくれた。
その白山が見えた。山頂には少し雲というか雪煙りがかかっているようにも見えたが。それは実に大きく、相当遠いのであろうが、まさに鎮座するという言葉のとおりに圧倒的な存在感であった。
久し振りで中央道の高速バスで東京に向かった。 バスにはイギリスから英語を教えに来ている若者とその弟が同乗していた。 彼は茨城県で中学と小学で英語を教えているとのこと。 日本に来て、5カ月とのことで、話は英語でした。
それにしても、そうした男がバスで日本を旅行するとは少し驚きである。なお、彼の弟は関空にイギリスから到着して、二人で関西を観光し、茨城に帰るとのこと。
中央道は春一番に霞んでいた。何度か中央道を通ったが、伊那谷から南アが綺麗に見えたのは最初である。
富士山も春一番の霞の向こうに見えた。 beyond the haze と私が言ったら彼も目を細め、beyond the hazeと富士を見つけた。
北に目を転ずると八ヶ岳は澄んだ空の元。
甲府盆地は梅も満開でまさに春一番の霞の中であった。
先日、よく行く紀伊長嶋に魚釣りに行った。残念ながら大きな魚は釣れなかったので釣れた魚はすべて逃がしてきた。
燦さんとした陽光はなんとも羨ましい。それでも日帰りでこの陽光に会えるのであり、その意味ではありがたいことである。
そして、驚くことに蝋梅が香り高く既に咲いていた。陽光といい、香り高い蝋梅といい、師走という感じではなく春である。
夕暮れ近くに、熊野の山から熊野灘にかかる虹を見た。随分と高い虹であった。
私の地は師走の寒風が吹いている。それでもやはり春の花である菜の花が咲きだしている。
これから何回かの雪に会うのだろうが、けなげに咲いている。春にはこのあたりはなの花に包まれる。
今の時期のこの地の虹は低いことがある。雪雲で高い虹は出ないのである。
それでも、あと3月もすれば春まっ盛りである。
諦めづに努力すれば、もしかしたら、いいこともあるかもしれない。
色んな不幸な話が飛び込んでくる。ご主人を亡くした友から、また病の友からなどなど。
いい話も入ってきた。「Randolph Frederick Pausch教授の、カーネギーメロン大学での最後の授業」について、トラックバックしたリナさんから情報を得た。詳細はリナさんの私のトラックバックの項を見ていただきたい。
これを見て思ったのは、これに近いPresentationは何度も見てきたことである。社内でも、また学会でもユウモアに溢れ、それでいて実に的を得たPresentationを何度も見た。私も何度かこの1/1000程度のそれはした。
これがアメリカの強さの根源であると私は思っている。彼らは議論で息詰まると実にうまくユーモアを出す。 また、深刻な事態でもユーモアを持てる。
私は、イギリスはほとんど知らない。ドイツの方が知っている。フランスもほとんど知らない。
合成国家、アメリカは、苦境の時でもこの明るさはどこから来るのであろうか。彼らの故郷であるイギリスやドイツやフランスなどにもともとあったのであろうか。それとも合成国家であることからこうした苦境に抵抗できる文化が構築できたのであろうか。
今回のアメリカの苦境に際して、何人かの友にはこのアメリカ人魂というか、心意気があるから必ず、回復すると励ますというか、そうした文を送った。
写真は昨年5月のアメリカ晴のもとのNY メトロポリタンと女神像への船着場の光景である。
ラフで、明るくて、それでいて、しぶとくて、不正を許さない彼らである。
秋晴のしたの柏の秋になるとワシントンを思い出す。ワシントンの秋には白が実にマッチする。
低くなった太陽光線に多くの政府機関の建物が白に輝く。ホワイト ハウスは白で有名であるが、あれは小さくて眩しい感じは少ない。
国会議事堂や最高裁は大きく、そして近くにも行けるので、本当に眩しくさえある。なお特に国会には簡単には入れる。
この周辺には柏の木かそれに似た木が多い。街路樹はそれが主体である。
秋の日を浴びた柏の街路樹越しに見る国会、最高裁、ユニオン ステーションはまさに絵になる。パリの凱旋門も絵になるが、それとは別の開かれた素晴らしさがアメリカにはある。 indean summerである。
関東平野の秋は欅の秋の感じがする。新幹線で小田原を過ぎると急に欅が目につく。
関西の秋はイチョウかもしれない。お寺や公園はカエデが多いが。
誰でもよかった殺人から、特定者を狙ったテロが発生した。
多分、多くの人がその予感をしたのではないだろうか。これ以上、国民の不満を貯めてはダメである。
早期に解散して、民意を問うことが必須である。国会、官の堕落はひどすぎる。
最近では、2兆円のバラマキが何とも許せない。2兆円のバラマキそのものは、私は一種の減税でもあり、あほな公共投資より良いと思っていた。
しかし、その方式が何ともやりきれない。自民、公明、麻生が決着できないからとして、最終的に、地方に丸投げとは、投げられた2兆円から見れば、まさに死に金である。
血税を投げ捨てて、死に金にしてはいけない。
義憤にかられても、テロは貧困と戦争を呼ぶものであることは認識する必要はある。粘り強くなることがひつようなのである。
アメリカは驚くほどに実に粘り強い。オバマの選出経過をもそうであった。また、重罪には時効はない。あほな日本人はそれに耐えられずロスで自殺した。アメリカは不正に対しては簡単にはあきらめない。
日本でも今回のテロを機会に重罪については時効を無くす必要がある。
ワシントンの政府機関の白はそうした思いもこれられているのだろうか。
小春日和の日本語の同意語は、私の知人によると、秋うらら、秋麗があるとのこと。俳句をやっている友にも聞いたが、小春日和が圧倒的のようである。
やはり小春日和が私にはあう。 あまりに素晴らしき夕時であったので湖岸まで走らせたら、空も山も空気も水も、渡り鳥も残照の中にあった。
英語の小春日和に対応するindian summerについて問い合わせてみたら、何人かの友から回答が来た。下記がその一部である。彼らは日本人と違い、随分と色んな表現があるようである。
日本語は季節を表す言葉は極めて多いが、小春日和はあまりに的確過ぎて、これ以上のものがないのかもしれない。
小春日和は多分、あらゆる生き物にとって、束の間の、ほっとするときなのであろう。
Regarding 'Indian Summer':
1. The first known written use was in 1778. The American word may have originated from raids on European colonies by Indian war parties; these raids usually ended in autumn, hence the extension to summer-like weather in the fall as an Indian summer. Or because this was the traditional period during which early Native Americans ("indians") harvested their squash and corn crops. Or because it is a 'false' summer and Native Americans were sometimes perceived as deceitful and treacherous by the European settlers; 'Indian giver' has a similar connotation of falsehood. In any case, it has nothing to do with the Indian subcontinent.
2. In Europe, it was called 'St. Martin's Summer', with the usual language variations, at least until the American version became popular. That name has very old roots in Europe.
3. We use "indian summer, indian summer day, balmy autumn day,mild late autumn day, warm autumn day", but not "old wives summer, bluebird weather". However, certain 'rules' have become established here: the weather must be above 21$B!k(BC (70$B!k(BF) for seven days after the autumnal equinox, and, in Canada and in the Northeastern United States, a ground frost must have been present before the wave of warmer weather.
街に最近増えだした花ミズキが随分と紅葉を始めた。花ミズキは花も綺麗だし、紅葉も赤い実もきれいである。
最近は少し薄れたが、私は花ミズキの紅葉には悲しい思い出がある。アメリカでお世話になった友の死がダブる。彼に最後にアメリカで会ったとき、肝臓がんの手術後であり、小康状態であった。彼は私と私の部下を親切に所定の場所に連れて行ってくれた。特に、私の若い部下に対しては子供のように親切にしてくれた。
帰国して、あまりたっていない時に、逝去したmailがあった。
駅前の紅葉した花ミズキを写真に撮るのは少しい心が痛む。
余りに晴れたので、いつも行く山道を今年の秋として初て登った。まだ、ツクツクボウシも鳴いている。それでもツタの葉は少し疲れ気味に紅葉の先駆けが出ていた。
晴てはいるが、霞が全てにかかっている。森の木漏れ日は青みがかって見える。今日はカケスの鳴き声が随分と聞こえる。
琵琶湖の見えるところは、薄が風に揺れ、すべてBlue hazeの中に沈んでいた。
明るすぎる光景が目の奥に少し痛い。
本当に久し振りに北海道に行った。 千歳に降りるのは最初である。飛行機からみる多くの沼がある原野の風景は北アメリカの東部にそっくりであることに驚いた。
そして、千歳周辺の風景もまた同様にアメリカ東部にそっくりで、これも驚いた。また、札幌周辺の滝野すずらん公園も、私のアメリカの友の近くと実によく似ているのに驚いた。 その意味では大感激である。
積丹半島は快晴であった。こんな素晴らしい海ははじめてである。海の色と空と荒々しい海岸と、それでいて大らかな山々はなんとも素晴らしい。 私がよく行く熊野とも、またかってよく行った沖縄の離島ともシンガポールとも異なる。
この風景は火山と北の海と北の空から作られたものなのだろうか。
北海道に関して、いくつか考えさせられた。
アメリカの友の住んでいるところは、すずらん公園のようなところである。 彼らはそれに対して過疎との意識はない。 それで十分に生活もできる。 日本ではどうして過疎として問題になるのだろうか。
積丹や道南を見て、日本は十分に観光国になると思った。北京や上海、またはげ山のイメージのある韓国からみたら日本は恐ろしく素晴らしい国である。 彼らが金持ちになったら日本は観光国として十分な可能性があろう。
特に積丹一帯の海や海岸は素晴らしいの一語である。東部アメリカ人も再来するのではないだろうか。
G8の会場も素晴らしかったが、積丹半島に誰か行った首脳はいたのであろうか。
札幌のJRの高層ビルから夜景を見た。また、伊丹への飛行機からも夜景を見た。この夜景はすべて人の営みである。
ある面で個々が勝手に生活しているのではあるが、秩序だった世界でもある。
電力会社や交通関係、ガス関係の人がこの夜景を見たら、支配していると思うのであろうか、それとも己の責任に恐れを感ずることがあるのであろうか。 夜景はきれいでもあるが人は平和にしろ、家族の営みにしろ、責任を感じさせるものでもある。
家にいると暑くてしょうがないので涼しいと思われる山に出かけた。 木々に覆われた沢沿いに登ると予想以上に涼しかった。
600m弱の広葉の葉に覆われた尾根に出ると風もあり、そこは涼風の中であった。 汗まみれに吹く風は涼しさより冷たささえ感じさせるものがあった。 8月に入り湿度が低下したためかもしれない。
杉が主体の北に開いた森に降りてくるとヒグラシが私に驚いて地面から多数飛び立つ。 思えばヒグラシは確か地面にいることが多い。 しかし、この森は冬に来ると日中でも暗くて、生物などはいないような場所と思っていた所だ。
そこに多数のヒグラシがいたのである。 思えば立派な野生のシカに遭遇したのもここなので、この森は私の思いとは異なり、生き物にとって生活しやすい場所なのかもしれない。 ヒグラシは実に多くいた。 何匹かは私に驚いたのに私にも止まった。 それでもここのヒグラシは鳴いてはいなかった。
この森の出口にウワミズ桜の実がなっている。 ごく小さなサクランボである。味は特に美味くはないが、もう少し少し渋みがあり、甘みが少なければ高級赤ワインに近いと思った。
切り立った崖のようなところにオニヤンマも休んでいた。
沢が合流する所にくると、その沢沿いではヒグラシが盛んに鳴いていた。 距離的には先ほどの沢とごく近いのに。
ヒグラシの鳴く時間と場所は結構複雑なのかもしれない。
沢沿いの森は実に涼しく夏とも思えぬほどであった。
昨晩、少し遅く散歩に出たら邯鄲が鳴いていた。 少し前、熊野からの帰り、エンマコオロギもないていた。
エンマコオロギは随分と早くから鳴く。 子供の時、夏休みに入ると同時位に鳴きだした記憶がある。
今年の我が家の庭は随分と静かである。 どこかで孵ったヒヨドリの親子が住み着き、雛に親鳥が虫を取っているのである。 アゲハもすぐに食われるし、うるさいクマゼミもアブラゼミも同様にすぐに食われる。
邯鄲は故郷の家を含め、家の庭に住んだことはない。
私は邯鄲は秋の虫と思っていた。 こんなに早く秋の虫が鳴きだすとは驚きである。
どこで鳴いているか分からないような存在感のない鳴き声であるが、なんとなく心落ち着く秋の虫の代表である。
毎年、何度も行く熊野灘の見える岡である。 無人駅から歩いてトンネルをくぐる。 列車の冷房から熱さに少しまいるころにその歩行者用のトンネルはある。これが涼しくて。 それを抜けるとそこは海である。泳いでいる人は数人である。無人の時も多い。透明な海につかり海を見ていると時間の観念がなくなる。 熱帯魚もいる。小さな魚が突然、目の前にあわれれる。 沖縄の離島ほどカラフルではないが、それはそれとして楽しめる空間である。 昨日は晴天なのに一日中、ヒグラシが鳴いていた。 このなこともあるのだろう。
海で体を冷やし、岡に登る。 この山はヒグラシのどこからともなく広がる鳴き声と、クサギの香りに満ちている。 クサギにはクロアゲハが飛び交うが動きが速すぎて、写真には取れなかった。
白雲がわき立つ山があった。山はそんなに遠くなく、またそれほどの高度もないのに雲がわき立ち、幻想的といえばよいのだろうか、そんな光景が広がる。 この間もヒグラシは鳴きかっている。
体が夏の太陽で火照る頃、別の浜に着く。ここでも海に入る。ここも透明で、青い海が広がる。色んな魚と海藻が揺れる海である。
海で体を冷やし、岡に登る。 岡からは海と空と幾重もの山波が広がる。
今日の海と空は、晴なのに渾然一体とした梅雨明け後の浅い盛夏である。
海はあくまで透明で、青く、潮騒は遠く、波のように鳴き交わすヒグラシと、鶯と、目白のさえずり。静寂ではない。それでも静寂以上の静が広がる梅雨明けの熊野灘広がる岡である。
夏の果物は桃が代表的なものなのだろう。 そして桃が夏の果物なら、その色である「桃色」も夏を代表する色となる。
そういった観点から「桃色」を見てみると、予想外に桃色の花が多い。 私が最も驚いたのは、ハスの花である。 その桃色については驚きはなかったが、その大きさに、心底驚いた。 ハスの花がこんなにも大きいものであるとは知らなかった。 それとも、琵琶湖の湖岸のハスの花は異常に大きいのだろうか。 大人の顔の大きさくらいある。
また、ハスの花の芯の部分の光輝く黄金色も少し仏教の黄金色に近いと思った。 こんな光輝く黄金色はあまり見たことがない。 少し気味悪くなるほどに光輝いている。 数年前、秋田の玉川温泉の源泉から流れる温泉がこれに近い色であった。
またハスの花の芯の色は、私は経験がないが、臨死体験した人が見たといった光輝く黄金色に近いのではと、直観的に思った。 もしかしたら、ハスが仏教と関係が深いのはそんなことも関係しているのではとも感じた。
ひまわりも大きな花もあるが、それにしても、このハスの花も実に大きい。 多分、私が今までに見た最も大きな花なのではないだろうか。
そして、バチパチという破裂音が聞こえた。ハスの花が開く音とも思えたが、確証は取れなかった。
それに、ねむの花が桃色である。この花はすがすがしさがある夏の花である。
なでしこ、ももう咲きだしていた。
桃色という意味では、薬草のゲンノウショウコも可憐な花を咲かせる。 これは庭に自然に生えたゲンノウショウコでありこれから秋にかけて色を深めながらやや青みを帯びた桃色に咲く。
桃について言えば、私は桃色の桃は美味さが分からない。 北軽井沢などの高原で作られた桃色というより、赤に近い桃がすきである。 桃は美味しいものもあるが、中々美味しいものには残念ながら巡り合えない。 夏の果物の代表の美味い桃が簡単に食べられるようになったらうれしいことである。
久し振りに朝早くトレーニングというか、長い散歩に出かけた。 渡る風が涼しく快適である。
驚くことにもう月見草が咲きだした。私にとって月見草はなんだか残夏の花のイメージがある。 私の生家の周辺には月見草はなかった。 昔、夏休みから大学に戻り、そこで見たのが最初かもしれない。 無為に過ごした夏休みとダブル花である。 しかし、実際にはこれから初秋までを飾る花なのだろう。
山を越える雲を久し振りに見た。 この山の向こうは京都の八瀬の方である。 この雲は八瀬の山間で発生し比叡を越えたのかもしれない。 それでも比叡の山頂まで雲は上がれず、肩の高さで山を越えようとしている。 山を越える雲は秋に多いと思ったが、夏の朝にもあるのも、少し驚きだ。
ねむの花も咲いている。涼風に揺れるねむの花は、やはり日本の夏の花である。
さわさわと芦を揺らして夏の朝
もう朝顔も咲いている。 これももう少し後から咲くものと思っていた。小学校の時、朝顔のハチを学校から持ち帰り育てた記憶がある。
赤トンボが随分と赤みを増して、緑の稲田の上をすばしこく飛んでいた。 もう少ししたら彼らは高原に避暑に向かうのだろう。
朝の散歩で赤トンボが、実にすばしこく飛ぶのを見た。 もう十分に羽も強くなったのだろう。今年はあまり庭には来ない。 何匹かきた赤トンボは草木の先端に静かに止まってる。
クリーンな空の筋雲と赤トンボの写真を撮りたかったが、トンボはすばしこくて、私の腕に負えるものではなかった。
今日、この川筋で初めてカワセミを見た。 カワセミは綺麗だったが、山の谷川沿いで突然見えて、そしてすぐに見えなくなるカワセミに比較して、少し脳裏に残る強さは弱かった。 しかし、そうは言ってもこれも早すぎて写真には当然のこと、とれなかった。
子供の時、初めて見たカワセミは瞬間的に動く虹のようにも思えた。 そしてそれを2度目に見るまでには随分と時間がかかった。
赤トンボ この藍色の大空を飛び回ってくれ。 そして茜色に変身して戻ってきてくれ。
数日前にねむの花が咲きかけているのを見た。 それは随分と咲きだしていた。 梅雨の晴れ間というには雲が多い、ちょうどターナーの空のような、空の元、薄桃色に可憐に、梅雨風の中で、揺れていた。
つぼみを見るのは初めてである。 花が開く前の縮れた花を見るのもはじめでである。 梅雨空をほんのりぬくめるというか、明るめる優しさを含んだ花である。
ねむの木というと、宮城まり子さんを思い出す。
ご存じのように宮城まり子さんは、歌手から大変身し、ねむの木学園を作り、障害児活動で活躍している。 彼女の歌にはそれを感じさせるものがあった。それを私は彼女の演技と思っていたが、それは彼女の心からほとばしる思いであったのであろう。
ねむの花には、日本の母の温かさ、優しさを、すがすがしさ、に通じるものがある。
肌に空気がまとわりつく感がし始め、すっかり梅雨モードになった。 もう少ししたら、そうした中ですがすがしさを与えてくれる、ねむの花が咲く。
そう思ってサイクリングに行ったら今年、最初のねむの花が咲いていた。 大体はつぼみで、来週になったら本格的に咲きそうである。 この花は梅雨空に、その姿形、色彩からすがすがしさを与えてくれる日本の夏の花という感じがする。
庭にはニガウリの花も咲きだした。これは、匂いですがすがしいさを放つ。 ハイビスカスも本格化して、そして何より空が梅雨色で、すっかり梅雨モードである。
それこそ、東北の残雪の見える山の温泉にでも行き、ホトトギスやカッコウの声でも聞きたいが、今は少し行きにくい。
数年前に行った秋田の乳頭温泉は素晴らしかった。 今回の地震の影響はないのだろうか。
地震にあわれた方の早い復興を祈るばかりである。
この時期、ホトトギスの声を聞くために山に登るようになってもう随分となる。 森の中に池がある。その水の色は深い青色である。 沖縄の海の色のようでもある。 この周辺の山は石灰岩でできているので石灰質が多いとこのようになるのかなとも思ったりしている。 ---これは何の根拠もない推測であるが。 それにしても素晴らしい水の色である。 この近くには幻の池もある。
そこを通り、山に登る。
少し登ると結構の巨木があり、もうこう時期には緑陰が広がる。 木立は明るいが緑陰は少しくらい。 今日もクロアゲハが早い速度で飛んでいた。 それでも熊野のクロアゲハよりはゆっくり優雅に飛んでいるように思う。 このクロアゲハが飛び、いづこえか消えると緑陰はさらに深まる。
琵琶湖を望むところに腰を下ろす。 今日の大空も琵琶湖も霞そのものである。
心地よい風が汗ばんだ体を通りすぎる。 間近で鶯が鳴き、遠くからホトトギスが聞こえるる。 大津の街と観光船も見えるが、すべてが霞に鎮むこの風景は、たぶん何千年、何万年も変わらない梅雨前の風景なのだろう。
大空も琵琶湖もすべて霞かな
大空も琵琶湖もすべて朧なり
久し振りで家族で熊野灘の見える岡と、それに続く磯に降り、釣りをした。 残念ながら釣れなかった。
熊野灘も、周囲の山々も、すべてBlue hazeの中に静まりかえっていた。 鶯と目白の声のみ。 よく聞こえることが多い潮騒も霞の中で岡からは聞こえさえしない。 打ち寄せる波に音があることさえ忘れるほどの霞のなかの静けさ。
あくまでも透明な波がそれでも激しく岩壁に打ち寄せるが、それは遠いBlue hazeの彼方。
新名神を通り、大台まで高速。 これほどの山の中を高速を通したことに驚いた。 新緑に、ところどころ紫のフジか花咲く山々は初夏に実に華麗に衣替えしていた。 昔、行ったウエスト バージニアの光景に近いと思った。
ただ、これだけの山中に道路を作り、植生、動物に与える影響はいかばかりかと、少し不安に思った。
ウエスト バージニアの山中の道路には、特に、秋になると鹿などの動物の遺体が散乱していた。 高速道路で動物に遭遇して、あわてて避けたりするのは危ないので動物を引き殺すとのこと。
紀伊半島の鉄道では時たま鹿などと電車が衝突することもある。 私の乗った列車に鹿が衝突したこともあった。
日本の高速の周囲にはフェンスはあるかもしれないが、生態系にどれほどの影響があるか、少し心配しながら通過した。 当面、NOxの増加による花粉症の増加がこの道沿いで増加するか?
道路の話が昨今の大きな話題となっているが、人の欲望と、他との調和は大きな課題ではある。
それとは別に、ブルーヘイズに霞み、静かさが全てを包む熊野灘とそれに近接する山波は素晴らしいの一語ではある。
はじめてバンを見た。 琵琶湖にそそぐ川原にそれはいた。 ここはよく散歩というか、体力増強のために昔から歩いてきたところである。 それは、黒くて動きは鶏のように頭を振りながら動いていた。 TVなどで見たヤンバルクイナに近い感じである。 川岸のよしの周辺に見え隠れしていた。
鳴き声は単純であるが、なんとも艶やかで、秋の虫の邯鄲ほど、空虚ではないく、心に届くとしか表現しょうがない、素晴らしく心に届く鳴き声である。
水鶏(クイナ)科の鳥とのことである。
この山道はもう随分と登った。 四季折々、素晴らしい。 もう少ししたらフジが咲く。 ひっそりとドウダンツツジも咲く。 小川には沢ガニもたくさんいる。 時々、あたりの空気をコバルトブルーに染めながらカワセミも飛ぶ。 いろんな山菜もある。
山の鞍部の尾根に近い所に、大きなヤマザクラの集団がある。そこに私の知らない名前の巨木があった。 それがこぶしであることが今回やっとわかった。 それは山桜と一緒に咲き、そして柔らかな風が吹くと、桜の花と一緒になってへんぽんと落下した。
もう少し早く来れば、空一面の山桜とこぶしの花が見られたかもしれないが。 花吹雪という言葉はよく作られた言葉ではあることが十分に理解できた。
この山道は、今でも結構登る人がいる。 思わぬ知人にも何度か会った。 鹿に遭遇したこともある。 マムシもいた。 何度かマムシを取って食べたりもした。
この山波の頂きには大体、人がいる。 真冬でもいる。 京都も見えるし、遠く、大阪のビル群も見える。 近くに青空のブルーを広げた琵琶湖も見える。
山頂を少し下った所から見る琵琶湖が好きである。 今は単純に声の素晴らしい鶯と、妖艶なメジロのさえずりがこの森は満ちている。 もう少ししたらホトトギスもくる。 昔少し間延びしたカッコウも聞いたが。
随分とこの山を降りてきたところにミツバツツジが残っていた。 家の庭のミツバツツジは柔らかな新芽に変わったが、北斜面のここではムラサキがかったピンク色の花を新緑の中に開いていた。
久し振りに近くの山に登った。 萌黄色の山行きである。 山桜が散りしいた山道である。藪椿の花もあでやかなまま落ちている山道である。
少し空が見えるところに出ると萌黄色から深い緑色に色を変えたヤシャブが続く。 ヤシャブは私に季節の変化を最初に告げる木である。 花芽は年末頃にでる。 今はもうすでに初夏色の深い緑だ。
秋に色ずくのもヤシャブは早い。
この山道は小川に沿って作られている。 小川が源流に近くなると石ころの道になる。 この石は大体、大理石に近い石灰岩である。 驚くことにこれらの岩や石はグレートバリアリーフから流れ着いたのだそうである。
道端に朽木がありそこに見事なキノコが出ていた。 食べられそうなキノコだが、このキノコは食べた経験がない。
今日は、私にとって幾つもの発見があった。 その一つは新緑のツタである。 秋のツタは知っていたが新緑のツタははじめてである。 枯れた杉の枝に絡まり、ほの暗い杉の森にやや黄色に近い萌黄色にツタは春でもやはり美しい。
コガネムシの仲間もいた。このコガネムシの仲間も光沢がある。 もう少しすると真っ青のコガネムシに出会うことがある。 ほの暗い檜の森でそれに出会うと人魂のようにおもうことがある。
それは飛ぶと、光る尾を曳いているようにも思える。
過日、東京に行き、帰りは飛行機で帰ってきた。 羽田は雨であったが上空に出ると晴れていて、薄暮であった。 随分と日が長くなっていた。 それも当然、あと2月もすれば夏至である。 改めて月日の早さに驚いた。
東京は桜も終わり新緑の季節になっていた。 この時期、上野の森は、青雲の志に満ちているのかもしれない。 写真は多くの方に見覚えがある上野の国立博物館の遠景である。
異国の地から博物館の前に根付いたユリノ木はまだわずかに新緑が広がり始めたばかりだ。 5月になったら故郷のアメリカと同じように月見草色の花を木全体に咲かせるのであろうか。 ぜひ、見たい気もする。
関東の代表的な木であるケヤキの若葉に包まれたこの時期の、この広がりのある景色は私が好きな風景である。
幾多の若者がこの木々を晴れやかな笑顔で、また、ある若者は、苦痛に満ちた表情で眺めたことだろう。
午前中に時間を作り、西洋美術館に久しぶりに行った。 ヴィーナス展であったが雨のWeek dayの午前中のためか空いていた。 日本の美術館でこれほど空いているなんて私には想像もできないことであった。
そのあと、常設展を見たが、モネの作品については実に傑作が展示されていると改めて思った。 NYのメトロポリタンにも数回、ワシントンのスミソニアンにも数回いっているが、それに比較しても、素晴らしい作品があると思った。 なんともすごい目と金と度胸をもった男が日本にはかってはいたのである。
私は聖母像は魔女裁判に繋がりなんとなく見るのが苦痛な絵であった。 しかし、最近、構えて見ることもなくなり、何とも素晴らしいとしか表現のしようのない絵であると思うようになった。
しかし、こんなに真摯に世界の安寧を願ったのに無残な魔女裁判もあったことはなんとも不思議というか、私の想像を超えた世界が昔あったし、もしかしたら今もあるのかもしれない。
湖国にもやっと遅い春がきた。
早咲きの河津桜も咲きだした。
熱海や伊豆であれば2月中旬には咲くこの桜も湖国に咲き始めた。
この花を最初に見たのは伊東で、少し赤みが強いが、咲はじめで赤いのかとも思いソメイヨシノと勘違いし、伊豆や熱海の温かさに驚いたが。
2月中旬、MOA美術館の庭に梅とこの桜が咲いているのを20年ほど前に見て、太平洋側の素晴らしさに驚いた。
琵琶湖も近江八幡周辺まで来ると実にきれいな水である。 この周辺の友によれば、昔は飲料水も含めすべての水は琵琶湖からとっていたとのこと。 また、瀬田の唐橋から瀬田川の川底も見え、泳ぐ魚もみえたとのこと。
やはり、世界一透明な湖にしなければ。
湖国の春は茫洋とした春である。 どこまでもどこまでも茫洋とした春。 小さな星は宵霞に埋もれる春である。
春の淡い海を見たくなった。
柳もほのかに青みを増し、ひばりもさえずる晴れた春があった。 湖の向こうには、海を越したときに見える淡いブルーのこれも淡雪を残した山々があった。
それでも湖畔はなんとも薄汚れてしまった。
最近、昔、汚れていた河川がきれいになったとの話をよく聞くが、この湖はどうしてこんなに汚くなったのだろう。 合成洗剤を止め、石鹸にしたが。 そんなことではどうしょうもないほど、この湖は汚れてしまった。
春だから特に思うのかもしれないが。
昔はもう少ししたら、湖岸の柳の根元に春を告げる「もろこ」が押し寄せてきたが。
この湖は世界でも最も長生きしている湖の一つである。 世界一クリーンにして長生きさせないとせっかくの財産が財産でなくなる。
この時期から6月ごろまでの、淡雪を頂いた山が好きである。 近くの北陸の山もいいし、霧ケ峰からみる北アも好きである。
高山の城山から見る周辺の山々もすきである。 高山は白線流しの高校がある。きた春に遠い目で学生服とセーラー服が雪山を望むのも心揺さぶるものがある。
水上からBlue hazeに霞む谷川も素晴らしい。 何度も北陸には行っている北国の青空のしたの白山は見たことがない。 いつも雲に覆われていた。
雑用で行った今回も霞のかなたであった。 この方向ですと、指で教えてもらったが、霞が深まるばかりであった。
それでも北国にも春の息吹は息づいていた。
春の真っ先の使者であるヤシャブや柳が北国の淡く春色に霞む青い空に、ほのかに青みを増し揺れていた。
桜は未だつぼみの形もはっきりしない。
それでもこの桜もあとひと月もすれば木全体が花に包まれるのだろう。
そんなことは分かっているが、めぐる季節ごとに忘れずに花を付ける木も誠に不思議でもある。
丸めた背中と心をのびのびさせる春が北国にも近い。
この正月、幾つかの素晴らしい写真を頂いた。
林立する岩と雪、そして深い群青の青空、己の努力と体力満ち足りた人たち --- ヒマラヤの6200mの山頂。
この景色に私は残念ながら接したことはない。 北アとも異なるしスイスとも。
そしてもう一枚、大西洋からアメリカ大陸に没するその日のわざを全てなし終えた太陽。
Thank you Haruka-san for the kind thoughts.
Attached is photo of sunset on the Chesapeake Bay
I hope the New Year 2008 will be a very good one for you and your family.
Best Regards,
新年おめでとうございます。
今年が去年より少しでも良い年であることを祈念してやみません。
もうこの山に新年に登り始めて30年くらいになる。 最初は妻と、そして家族連れで、最近は一人で登る。
途中に無人の少し暗い森閑とした社があり、そこで蝋燭に火を灯し平穏であることを祈願する。
この揺れる炎を見ていると、ふと炎に吸い込まれそうに感ずるときがある。この日は風も結構あり炎が一瞬、消えるかとも思ったが。
この社に行くようになったのはもう40年近くにもなる。 秋の昼下がり、何気なく狭い山道をたどったら上から車が降りてきた。 車には娘と母親らしい人が乗っていた。私が道路の端によると会釈して下って行った。 私は狭い山道に車でくるとは何とも無粋な親娘だと思った。 さらに山道を登ってゆくと、この小さな祠は揺れる蝋燭の炎で占められていた。
それを見て、あの親娘の気持ちが分る気がした。多分、なんらかの心配事があり祈願にきたのでは。
それからこの周辺の山によく行くようになった。 それまでは雪と岩の山が好きでこうした里山には関心はなかった。 そしてこの周辺は祈りの山であることも分った。
今年も例年どおり山頂目指してゆくと関西には珍しい霜柱があった。 檜の森は何の音もしない。 春や夏であれば鳥の声もきこえるが。この檜の森も私は好きである。 静寂というよりただ静かさのみの世界だ。
尾根筋に出、大阪城の見えるところに立つと、大阪のビルが見えた。しかし大阪城はその中に没してはっきりは見えなかった。
山頂は、風の中に雪が舞っていた。
琵琶湖の見えるルートで下山。
北のルートは風がきつさを増し雪も乱舞していた。 今年最初の雪であった。 比叡は見えたが比良山系も湖北も雪雲の中にあった。
ウグイの笹なきが聞こえた。 この笹なきは寒さを深める。
今年が、昨年より、ほんの少しでも良い年であることをお祈りいたします。
無明の中にほんの少しでも明るさの兆しでも見える年であることをお祈りいたします。
東京と大阪周辺を見ると実に似ている。 東京の西にはハイカラな横浜、東には野暮ったい千葉、北には埼玉、茨城が位置する。 大阪も西にはこれもハイカラな横浜。実に東にはこれも野暮ったい和歌山がある。 奈良は埼玉や茨城に近い。
名古屋は少し異なる。西はいかにも田舎のイメージの三重がくる。 多分、三重がこうなったのは大きな川があり水害などから発展が滞ったからと思われる。
なお、一号線周辺より一宮、岐阜、大垣方面が発展し、何ゆえ東海道線が現在の地に定まったのかは調査するひつようがある。 一号線を東海道線にすれば雪で新幹線が遅れたりすることも少ないと思われる。
古人はこの辺も考慮して昔の東海道を構築したのであろうが、近代になつて東海道線は米原周りとなった。
それはそれとして、滋賀は実に先見性と合理性に富む。 今回、赤字が明白な栗東の新幹線駅を阻止したことはその合理性を示した最近の例である。
しかし、新規な事業の阻止のみでは発展はしない。
滋賀を超近代的な街にするのが今後の一つの方策であると私は思う。 ご存知のとおり京都は世界的にも優れた歴史遺産がある。 そして建物の高さの制限を更に強化しようとしている。 京都は歴史遺産で食うのであれば、滋賀は別の方策が必要である。
それは超近代化であろう。 NYのあの超近代的な街はやはり素晴らしい。 東京も綺麗になったが、高速道路が街全体を何ともみすぼらしくした。
そして幸い、滋賀には世界的にも古い琵琶湖がある。 今後、水の確保は大きな課題といわれている。 この琵琶湖を世界一透明でクリーンにする技術を滋賀の地に作る。
それを核にして滋賀を超近代的な街にしたら良い。 当然、昔からの古い街並みは残す。
現在でも草津や大津などの高層ビルから見る夜景は東京ほどではないにしても、京都にはない素晴らしさである。 京都の大文字焼きも素晴らしいかもしれないが、滋賀の高層ビルからの夜景もすばらしいものがある。
古い京都の観光客に超モダンな滋賀のホテルに泊まっていただくのも一つのideaである。
幸い、滋賀には大阪の下劣さ、金の亡者の船場吉兆もいない。
昨晩は東京で飲んでも、いつもの定宿である、芝弥生会館に泊まった。 この12Fからの風景がなんとも素晴らしい。 足下に浜離宮があり落葉樹が紅葉している。 周囲の高層ビルとよくマッチしてNYのセントラルパークのようでもあるし、川があることからワシントンとNYを合体したようでもある。
私きこの風景は東京で最も素晴らしい景色と思っている。 あんまり綺麗なので明治神宮に行ったら、ここも紅葉し、それがはらはらと落葉し、ここも何とも素晴らしい。
東京もじつに素晴らしい街になった。
明治神宮では何組かの結婚式の行列をみた。 巫女さんが先導し、その後に新郎新婦か歩き、その後ろに大体は白髪を蓄えた黒の服に身を包んだ紳士が続き、その後は新郎新婦に何処かしら似た顔立ちの人々が続く。最後の方は子供であったり華やか服装の一団もいる。
彼らは同じ遺伝子を持つ集団なのだ。 遺伝子は親を越え、人に命令し、そして、彼らがなくなった後も永久に行き続ける。 人の遺伝子は人をその土台として次々に異動しているのだ。
人は、生命は全てこの遺伝子の指示を受け、恋もし、嘆き、悲しみ、喜んで、そして生きていく。 本当に遺伝子は何を考えているのだろうか。
先月、シャンハイ周辺に旅行に行き、真綿の掛け布団を買ってきた。 これが実に暖かい。 今までは羽毛布団を掛けていた。 これも軽くて素晴らしいが真綿布団は薄いのに実に暖かい。
今、外は本格的な冬になった。 かいこたちもこんな素晴らしい覆いがあるのだから寒い冬も屋外でも結構快適に過ごしているのだろうと思った。 憎きイラガの卵も多分、快適にこの寒さを過ごしているのだろう。
羽毛ふとんは厚さが必要だが、真綿布団は厚さはいらない。薄くても暖かい。なんだか鳥とかいこの繭との違いを表しているようにも思える。
それにしてもどうして生き物たちはこんな素晴らしいものを発明したのだろう。そしてどうしてそれを子孫に伝えているのだろう。 遺伝子は何処まで伝えているのだろう。
人の遺伝子は笑い声は伝えている。 鳴き声も伝えている。 私の思いは私の遺伝子を通して子供に伝わったのであろうか。
アキアカネが大移動したり、鮭が大移動するのは遺伝子の影響と思う。 これは思いではなく本能なのかもしれないが、本能と思いとは別なのだろうか。 なんだか別とも思えるが、本能とは生物の究極の思いとも思える。
若いときの子供と年が行って出来た子供には親の違った思いが遺伝子を通じて入っているのではないのだろうか。
また、隔世遺伝とは遠い祖先の思いであることはないのであろうか。
ただ、遺伝子は人の思いとは別のことを意図しているのもまた確かである。人は永遠でありたいが、遺伝子は人が死ぬように作った。
こんな相反することを生物に与えた遺伝子とはいったいなんなのであろうか。 次々と世代を超えて伝わる遺伝情報とはいったい何を意図しているのだろうか。
遺伝子には意思はないのだろうか。本能が遺伝子の思いとすれば、何ゆえ、永遠を願う願望と、それを無にする遺伝情報を己に与えたのだろうか。
何とも不思議な遺伝子ではある。
シンガポールは熱帯の緑と熱帯の花と、そしてクリーンな街である。 ある面で人が理想とする街かもしれない。 子供に理想の街を描かせるたら、大体の子供はシンガポールのような街を書くだろう。
道は広くて街路樹が生い茂り、そこには熱帯の色鮮やかな夏を謳歌するハイビスカスみたいな花もあるし、可憐な花もある。
そして何よりクリーンである。日本やアメリカの大都会にいる浮浪者がいない。なお、浮浪者について述べると、日本の彼らは晴天であるとベンチに寝ていることが多いがアメリカの彼らは大体ベンチに座っている。寝ているのは極めて少ない。 老人の寝たきりは日本独特との記事を読んだことがあるが、もしかしたら、それは日本人の特質なのかもしれない。
浮浪者がいないということは、極端な貧乏人がいないことを意味する。
また、大きな街路樹はこの国に大きな天然災害がないことの証である。今回、タクシーの運ちゃんと話したら、地震も津波もサイクロンも台風もないとのこと。 ちょうどバングラデッシュでの大災害があったのでそんな話になった。
そして驚くことに彼らタクシーの運ちゃんのレベルが恐ろしいほど高い。 前回きたときはシンガポールの重点政策である研究開発について雑談した。何もないシンガポールが生き残るには研究開発が最重要であると彼は述べていた。 私が研究管理者会議でシャングリラホテルに来たといったらそんなことを言っていた。
北の金が、あほにも拉致で生き残ろうとしているのとは大違いである。
政策的にもR&Dを実に優遇している。
そして街が安全である。 食事も美味いものがいっぱいある。 人種も多数である。 そして彼ら彼女らは安全に活発に若々しく活動している。
こうした街や国がどうして存立しえるのか、不思議なことではある。 小さいことでこうした国が作れるとしたら、小さな国も素晴らしいことではある。
しかし、何か不足する感じがする。 東洋的というか、アジア的というか、雑多な騒々しさがない。---もしかしたらあるのかも知れないが、見つからなかった。
シンガポールは英国の植民地であった。もしかしたら彼ら英国人は、ある面で徹底的に英国化を図ったのかもしれない。 それが今のシンガポールなのかもしれない。
私が感じた不足感とは土着民がかもし出す独特の香りなのかもしれない。
そしてこれが英国流の統治なのかもしれない。米国にもインデアンの香りはしない。シンガポールにもそれはない。 英国流の統治は一種の抹殺なのかもしれない。
インデオの香りが色濃く感じられる南米に行きたい気がする。
急なことで私用でシンガポールに行ってきた。 会社に電話があり、私用で行く必要が生じた。 急遽、格安航空券を頼んだら、即、取れた。 これが世界が狭くなった気分にさせてくれた。
シンガポールに行くのは2度めである。 前回はシンガポールに研究管理者が集まり幾多の討論とそれに基く実行計画の策定をした。 その時は2月末であった。
今回も11月末であり日本は寒くなりだしたところであった。しかし、今回もシンガポールは当然のように暑っかった。 そして強烈なスコールがあった。
時間の合間に、地下鉄を使い、少し移動した。 何処も花が咲き乱れる街であった。 これも当然ではあるが知らない名前の花が多数咲いている。 写真の花の名は全て知らない。
街はNYのような高層もあり、ワシントンのように緑溢れる町である。 ただ、パリのような古い町並みはない。 なんといっても花が溢れる街であった。
島にも渡ったが、海は沖縄の石垣島や座間味の方が圧倒的に綺麗であった。 日本の海はやはり素晴らしい。
仕事を兼ねて上海周辺へ行った。 上海は私にとって初めてのことである。 上海およびその周辺の開発は実にすさまじい。
私にとってあのすさまじさは、中国が己の東洋文明というか東アジア文明の敗退を明確に認めたようにも思え、何とも寂しく思えた。 30年ほど前に私はアメリカとヨーロッパを回った。その時も同じようなショックを受けた。 それは日本があっけらかんとして日本文化を放棄したと感じたからであった。
上海周辺では古い家は極めて無造作に破壊されている。昔、人が住んでいたとは思えないほと、気楽に徹底的に破壊されている。 そしてその直ぐ隣では近代的なビルが次々と立っている。
中国では、東洋文明というか東洋文化ではもはや発展はないと明確に判断を下したことが、今回の旅で明確にわかった。 東洋文明が明確に西洋文明に負けたのである。 確かにロケットを飛ばすのにあいまいな東洋文化では無理ではある。 多分、近い将来、東洋医学もなくなるのだろう。 今は人体が余りに複雑で西洋文化で取り扱えない。 しかし、西洋文化を持ってすればそれも近い将来可能となろう。
中国はこうした東洋と西洋の強さと弱さを比較して、その決定がなされたのであろう。
一方、精神的、また観光面では東洋的なものが観光資源になると考えて手厚く扱われていることも、また分った。
それでも、文明の激突、そして敗北を認めたことは、東洋文明のしたに育った私にはやはり何とも寂しいことではあった。
長かった今年の残夏の終わりの海を見たいと思い熊野の七里御浜に行く。
そこは静かな秋の渚ではなく、強い意志を持った波が打ちつける浜であった。
群青で透明なうねりが岸に近づくと、それは白みを含む波となり、近づくと、気分的には
背の高さくらいなりる。 それは浜に打ちかかり純白のしぶきとなる。 それは浜風に運ばれ潮の靄になる。
この透明で群青の波を作る水は、熊野を離れたらもしかしたら太平洋を横断して米国に到着するのかもしれない。 そこで雨になりRed Woodの森の木の中に固定されるかもしれない。 彼らにとっては日本と会う最後なのかもしれない。
空も蒼穹といえるほど十分に青くなった。雲も水の雲から氷の雲にかなったのだろう。
今年の夏そして残夏もおしまいである。
そして、また一つの夏そして残夏が終わった。
私の中の思わざる若さに驚いたこともあったし自信が蘇る思い出深い夏と残夏でもあった。
熊野の夜は闇がきらめくように思うことがある。 きらめくのは闇だけでなく心なのかもしれない。
昨日は久しぶりに良い天気になった。私の地には珍しく、白さがない青空であった。 それでも空は深い群青ではなく、太陽の光もやや弱弱しい。 白い静かな秋の始まりである。
この道は何度も登った。
最初、山が低すぎて楽しくなかったが、無人の小さな祠にロウソクが揺れているのを見てから、好きになった。 この山にはもう100回位登ったかもしれない。 途中に池があり、ふと見ると池の面は殆ど木影で覆われている。 狭い谷間の小さい池なので、池の面に波もない。 ただ池の面に影が映っているだけである。
この山はこれから紅葉を迎える。今は未だ浅い秋だ。ツクツクボウシも数は少ないが聞こえる。それでも木々を通して漏れいる光は、色つきかけた秋色の光りに満ちている。
初夏に琥珀色のような花を付けたアケビも青空にその実を開いた。 幼き日、兄にせがんで秋にはとりに行ったアケビである。
手を伸ばして取って食べてみたが、少年の日の味とは異なり、余り甘さは感じなかった。 この地のアケビが甘くないのか、それとも私の味覚が変化したのか。
植物の味は土地により異なる。その代表的なものはたけのこである。 関西のタケノコは美味いが、私の故郷の庭に生えたタケノコはイゴクテて食べられるものではなかった。 関西にくるまで、どうして関西人がタケノコを食べるのか、私には想像できなかった。驚くことに確かに関西のタケノコは美味いのである。
味は子供の頃と異なるが、このアケビのこの紫色は秋色そのものである。
この山なみからは琵琶湖が良く見える。昨日は珍しく、湖北の山まで見えた。珍しく澄んだ青の中の琵琶湖である。
ここから見る琵琶湖は飛べば直ぐにつくように思えるほど、近くに見える。
ここから見る琵琶湖を私は好きである。 初夏には鶯やホトトギスがこの辺からよく聞こえる。
今は鳥の声も、ツクツクボウシもこの辺からは聞こえない。ただススキの原を風が流れるだけである。
北からの風は予想外に冷たく早々に私は腰を上げた。 もうひと月もすれば比良にも雪はくる。
下り道で膝かががくがくする。これしきの山で、膝に来るとは、ただ年月の速さに驚くばかりだ。
昨夕の熊野、七里御浜の夕暮れは残夏を飾るにふさわしい夕暮れであった。 太陽は茜色には成らずプラチナ色に輝き、熊野の山に没した。
御浜に打ち寄せる波は落日を受け、かすかに明るんだ。
海は あくまで透明で、波がその形状を崩すまで透明だ。 そして波は己を支えきれづに純白の波となり 波打ち際に打ち寄せる。 打ち寄せた波は砂利の浜に吸い取られる。 そのときの音は今の時期に聞くと魂が吸い込まれそうだ。 潮風が立ち上る。
波打ち際を離れると遠くに海と空が広がる。
そこはスズムシの世界が残夏を奏でている。 潮騒は遠い。
私の今年の夏の終わりだ。 沖縄に行けば、まだまだ夏は残ってはいるが。 夜、駅から双眼鏡で星を見たら、やはり、そこにはきらめく闇が広がっていた。
邯鄲も鳴いていた。
残夏に似合う英文 --- 英語にも恐ろしく詩がある。
How times flys by. Seems like only yesterday ---アメリカの友の文から。
私は飛行機が新幹線より好きというより、新幹線がきらいである。 しかし、飛行機に乗るのは夜が多い。 また羽田までは、数年前から品川からが便利になり、ほとんど品川から利用している。
今回、関東に行く私用があり、浜松町に用事があったので久しぶりにモノレールを利用した。モノレールからの街も青空をバックに実に綺麗であった。 また、空港でも少し余裕があったので空港を少し散歩した。
驚くことに施設が実に立派に整備されていた。 いつも時間に追われぎりぎりで空港に到着しあたりを見回す余裕もない。 空港で写真を撮るのもこれが最初。
広くて快適な空間がそこには広がっていた。 なんだかアメリカの空港で乗り継ぎの時間待ちをしているような感じでもある。
この空間は華やかな別れという言葉が似合う場所でもあった。
飛行機に乗ると別れがあると思うことがある。 飛行機の整備が終わり、駐機場から滑走路に向かうとき、整備員が整列し飛行機に向かい敬礼する。 これを見ると、別れの感慨が胸に浮かぶ。 特に海外の場合は。
今回は翼の直ぐ後ろの窓際に座った。 飛行機が離陸すると直ぐに右旋回すると、その大きな翼は海に届くほどにも感じられた。
飛行機が青い富士の上を越すと、そこには純白の雲海が広がっていた。 それを見た時、ふと春の彼岸の頃に霧が峰をスキーをしているような感じになった。
ただ残念にもデジカメは飛行機では使用禁止。
大阪に下りたら、東京とは全く別の真夏の蒸し暑さに包まれた。 これも飛行機の旅の特徴
熊野路は残夏。 海色は沖縄の海色に近い群青と薄いブルーで、海に潜ると透明な海に熱帯魚も見えた。 このあたりの海には珊瑚もいる。
空には夏雲がわき、鳶が高く高く舞っている。 山はクサギの香りに満ち満ちている。
クサギの香りは香水の香りに近い。
クサギには黒アゲハが恐ろしいほどの速さで飛び交っていた。
私は昔、黒アゲハはゆっくりと舞うように飛ぶものと思っていたが、それは恐ろしいほどの速さで熊野の山野を飛び交う。
クサギは余りにも強い香水色のにおいに、なんとなく近づきにくい木と思っていたが、山菜でもあるし、薬草でもあるとのこと。
山はクサギの香りと、ツクツクボウシの鳴き声に満ちている。 ツクツクボウシは残夏を代表する蝉で、幼き日、これを聞くと宿題が心配になった。 しかし、全山からツクツクボウシが波のように押し寄せてくるように聞こえると、残夏の感傷などは吹っ飛んだ。
また、熊野のユリが白く、見事に咲いていた。 山百合と異なり香りはしない。 クサギの香りの山で生きてゆくには香りでない別の手段が必要なのかもしれない。
夕方、雲が山から下りてきた。、が雨は降らなかった。 それでもこの岡に海から吹き上がる風は心地よさと、汗ばんだ肌には寒くも感じられた。
私は夕立に洗われ、霧流れる山なみを期待したが。
あれほど騒がしかったツクツクボウシに代わりヒグラシも鳴きかい、夏の夕暮れである。
夕方、エンマコオロギの音に混じり鈴虫の鳴き声も聞こえた。
別の駅で、久しぶりにクツワムシの音色を聞いた。 クツワムシの音色をベースに、夜なのにキリギリスもエンマコオロギも、鈴虫も聞こえた。
熊野路は残夏、もう少しすれば、鈴虫があたりを包む白い秋になる。
名残り惜しい残夏である。
熊野の夕日は山に没する。
熊野に夕暮れが近づくとヒグラシが波のように幾重にも幾重にも鳴きかう。 近くで鳴いていたヒグラシが遠くへさり、もう鳴かないのかと思った頃に、また近くのヒグラシが鳴きかう。
この日は海も晴れていた。 熊野の山に近づいた太陽は茜色には輝かず、プラチナ色に輝いた。
プラチナ色に輝く太陽は熊野で見えやすいのかもしれない。 それもほんの一時で、それは熊野の山に落ちた。
その後もヒグラシは鳴きかい、涼風を呼んだ。
多分、ナツアカネが薄い夕焼けの空を凄い速さで飛び交った。
これが太古から続く熊野の夏の夕暮れなのだろう。 茜色の太陽でなくプラチナ色の太陽は少し神秘的である。
その後は急激にblueを含んだ漆黒の空が広がった。
もうヒグラシは鳴かない。
久しぶりに陶芸作家の家を訪問した。
ここには私とは別の時間が流れている。
それは時間に縛られない生活なのかもしれない。 それが好きで学生時代から時たまお邪魔してきた。
今回の空の色は、先月に行ったペンシルバニアに近い。 この陶芸作家の家の木も大きくなり、USAの友の木に近くなった。 林の中の家であり心地よい風が家の中を吹きすぎる。
思わぬことから、中学時代の友の家に行くことになった。 この男のイメージは脳裏に強くあつたが、眼前に見る友の顔は変り、昔の面影とは異なる。
その後、別の男がきた。しかし、名前も顔も思い出せない。 私は記憶力は非常に良いと思っていたが、時間が全て消してしまっていた。
何とも時間とは不思議である。 未来というものがおぼろげにあり、それが突然として現在になり、そして突然として過去になりそれは限りなく確実に遠くなり、もうめぐり合うことはない。
昼間から酒を飲み、近くにきたホトトギスを聞いた。
穏やかな時間の流れだが、これこそが、確実に全てを消し去るものなのかもしれない。
ハイビスカスの新芽が急に大きくなり花ももうすぐ咲く。 ウコンの芽も例年通りでた。 このウコンは10年以上も前に東京駅前の大丸で買ってきたものと沖縄で買ってきたものを毎年植えている。 大体は食べて種芋のみを残し、それを冬を越えて植えているのだ。
ハイビスカスももう10年は越したと思う。最初の数年は冬に枯らしてしまったが、最近は冬越しの方法を覚えた。ハイビスカスは2m位になった。 深紅の花はいかにも南国を思わせ夏色の花である。
我が家に住み着いた女郎蜘蛛も小さいながらはっきりそのあでやかな模様が見えるまでに成長した。 これからこの蜘蛛は晩秋まで成長する。 蜘蛛にも個性がありそれなりに面白い。
春からこの時期、自然の不思議さを感ずる。ウコンの芽は大体同じ時期に芽を出す。 女郎蜘蛛は親からは何も学ばないのに見事に巣を作る。
もしかしたらホトトギスももう近くの山に来ているかもしれない。 ホトトギスの声も聞きたいし、沖縄の海も見たいし、群青で透明の熊野の海も見たい。
熊野の海の見える岬の岡は果てしない夏色の海と空が広がっているのだろうか。
夏色の始まりである。
梅雨のしめっぽさは嫌いではあるが、梅雨寒は結構すきである。 梅雨寒に、一度はしまった厚い布団をかけて寝るのもそれなりに快適である。
また、囲炉裏や暖炉のある家で梅雨寒を過ごすのは、雨音のみで静かで実に快適である。
山の湯は梅雨寒の時が最もふさわしいとも思う。
木々の緑は梅雨で更に深まり、ホトトギスの鳴き声も聞こえる。 間延びしたカッコウも聞こえるときもある。
来週末は久しぶりに陶芸作家の家に行く。 山の林の中の家である。 陶芸作家の作品はメトロポリタンにも収納されてもいる。
ひさしぶりに会うのは楽しいが、お互いの老化を感じ、少し寂しくもある。 それも一つか。
旅行をすると色んなことで驚くことがあるが、USAでは「太り」である。 数年前、アメリカに駐在している男にアメリカには「小錦」の親戚や兄弟が多いなとアメリカの太った人に感心しながら日本語で話した。 そうしたら、彼は小錦はUSAでも太りを代表するものだから、人の多いところでは日本語でも言わないほうがよいといわれた。
私は彼らが太っていることに慣れ、驚かなくなったが、妻は驚いた。 アメリカの太りは人間というものを考えさせるものがある。 歩くのもやっとのような人も多数いる。 若者でもいるし、中年以上の太った人は本当に歩くのも大変なようである。
私が不思議に思うのは、中年太りである。 私も中年太りであり、家族からは注意を受けている。 中年太りは代謝の衰えがその原因のようである。 この説明には納得である。
しかし、生物学的にはこの中年太りは如何なる意味があるのであろうか。 中年太りの原因をある人に話したら、老化とは寂しいことだと彼女は言った。 好きなものをたらふく食えなくなるのは寂しいとのこと。
これは私も同じである。
本文を書きながら、気がついたのであるが、中年太りは、神が人に降したもののようにも思える。
すなわち、老人は余り食わないで生活できるようにして、その分を若い家族に分け与えるとのことかもしれない。
もしそうなら、私をふくめ中年太りは、家族のぶんまで食べてしまっているので申し訳ないことになる。
確かに、アメリカ人は食いすぎだ。サラダを注文してもピザを注文しても途方も無い量が出てくることが多い。 中華料理にしても一品に飯がつく場合もある。
私はアメリカは大好きである。しかし、少し参るものがある。 それはアメリカもそしてヨーロッパもホテルや電車が暗いことである。 ホテルも電灯が多く、しかも暗い。 それでもホテルは電灯の下に行けば字は読める。
しかし地下鉄の暗いのは困りものだ。 ワシントンの地下鉄は慣れているつもりだが、地図の字が暗くて読めない。 特に駅が暗い。 私はメガネなしで生活できることが自慢であったが、今回ワシントンの地下鉄で自信をなくした。 老眼鏡が必要なのかもしれない。
それにしても何ゆえかれらは暗い部屋が好きなのだろうか。 暗くても平気な目なのだろうか。 彼らの目は日本人の目とは別なのだろうか。 次回、現地の友に聞いてみたい。
それと今回は気がつかなかったが、アメリカのホテルのエアコンのスタート ストップ音が大きい。 これも苦痛である。 次回、これも聞いてみたい。
話は異なるが昨夜の月は異常に赤かった。 今日地震があった。 赤い月はやはり注意信号なのかもしれない。
NY メトロポリタンは3度目、ワシントンのスミソニアンは5-6回になるだろうか。 印象派は直にやはり素晴らしい。
今回、気になったものに聖母マリア像と現代絵画がある。 聖母マリアの絵を今までまともに見ることは無かった。 キリスト教の裏面である魔女裁判に繋がる感じがしていたからである。 今回は時間もあったので、幾つかの聖母マリアの絵を見たが、実に凄い。 絵とは思えないようでもある。 そうかといって人とも思えない。 全面に信頼感が出ていて、子供であるキリストを思いやる雰囲気がほとばしり出ている。
作家が全ての信頼感をキリスト教においていることが分かる絵であった。 こうした信頼のある時代がかってはあったのかもしれない。
現代絵画は不安の時代を映す絵が多い。 20世紀は宗教も、哲学も政治も、金も何も信じられなくなった時代なのかもしれない。 資本主義の問題点をなくすと思われた共産主義も理想ではなかった。
USAに行って気分が良いことはホテルのエレベーターに乗ったりしたとき、挨拶をすることである。 DiD you enjoy NY ?などと気楽に声をかけてくる。
私も老夫妻にそうしたら、ご婦人はNYの素晴らしさを話し出した。 たまたま降りる階が一緒で、廊下についてからもNYの素晴らしさを説明してくれた。
また、別の人は、enjoyしたとの挨拶のあと、あなたはと、逆に挨拶された。 これには少し驚いた。 これには妻が答えた。
NYに行くのは4度目である。 2回は冬、あとの1回は秋の日のNYであった。 NYに泊まったのは25年ぶりである。 前回もその前もアムトラックを使い近くの町から日帰りであった。
初夏のNYは青空で、そして清清しくて。 今回もフィラデルフィアからアムトラックでのNYいり。 川向こうからの摩天楼を見るとNYに来たなとの感慨が出てくる。
最初のNYはJFKからタクシーで街中に向かった。 たしか飛行機が遅れ夜の10時すぎ。 夜のNYが最初であった。 私以上の年齢の人が共通して感ずる「どうしてこんな国と戦争したのかと実感してのNY入り」。
今までは全て社用でありNYに行っても街を散策する時間は限られていた。 今回は初めて地下鉄を利用し、街を散策。 自由の女神の見える港までゆく。 貿易センタービルのあったところにはいけなかった。 最初の時には登ったが。
一日目は暑くて、青空には入道雲もでて、摩天楼が競い合いそれに近づいているようでもあった。
ビルは多種多様で、人が作ったものではあるが、自然が作ったもののようでもある。 この地では建築家は建築家である前に芸術家である必要があるとも思った。
セントラルパークの巨木から見る摩天楼も素晴らしい。 NYがこれほど素晴らしい街とは、少し驚きであった。
季節のせいなのか、仕事以外の旅が私の心に感動心を呼び起こしたのか。
久しぶりに東海岸のNYとワシントンと地方都市を訪問した。 今回はprivateな旅行なので航空券の手配以外は全て自分で済ませた。 ユリノキの花を始めて見た。 ユリノキは米国ではTulip Treeと言われているとのこと。これは米国の友から聞いた。
ユリノキは上野の国立博物館の前庭にある。 数年前の秋の日、色づいた巨木の美しさに圧倒されてその種を拾ってきた。 庭に植えようと思ったがどこかにしまいこみ忘れてしまっていたし、ユリノキそのものも忘れてしまっていた。
米国の著名な植物園に博士の友に連れて行ってもらったら、私の知らない巨木の森があり、綺麗な花が咲いている。 友に聞いたところTulip treeとのこと。 近くに行きよく見るとそれは日本のユリノキであった。 その花は新緑によくマッチした月見草色であった。
この木は高く広く枝をはる巨木で、花も可憐でいかにもアメリカの花の感じがする。 彼の家に行ったら彼の家はこの巨木と柏餅の巨木の森の中にあった。 彼は離婚しているが女友がいる。 彼女も離婚している。 彼女の家も森の中にあり、庭に花を植えている。 野生の鹿に花を食われるのが悩みとのこと。
ユリノキの木は大きくて、多分、新緑も綺麗だろうし、花を付けた今の時期も、青空をバックにしたそれは感動するほど素晴らしい。 秋も大きな葉の紅葉も素晴らしい。
ユリノキの下には詩があるしアメリカがあると思った。
それにしても自殺までして松岡の残そうとしたものは何なのであろうか。 彼の言動は民主主義の根本を否定するものであった。 また彼をサポートしていた弁護士は如何なる証拠をもって合法であるとしていたのだろうか。 彼をサポートしていた弁護士は合法の根拠を開示する必要がある。 自殺しても松岡の言動、行動が許されるものではない。 弁護士は生涯をかけて松岡に償う必要があるようにも思えるが。
春風吹いて、海鳥鳴いて、学生服とセイラー服が、遠い目をして、海を見つめる、それが熊野の春の訪れ
空が深まり、アキアカネ飛びかい、夜空の花火、あなたの上に、それが熊野の秋の訪れ。 遠い潮騒、あなたの吐息、それが熊野の秋の訪れ
漆黒の夜、闇は煌き、人の祈りに蝋燭揺れて、揺れる炎に心も揺れて、祈りの空に君の名呼べど、こだま返らぬ熊野の海
約40年ぶりに長崎にいった。 前回は旅行で夜行列車の旅であった。今回は社用である。
夕方、時間が取れたので稲佐山にロープウエイで上がった。 平日のこととて展望台には人は余りいなかった。 アイルランドからの男と女がいた。 私がVery farというと, 彼もvery far。 お互いにアイルランドが遠いことに納得し別れた。その後は私ひとりの展望台。
初夏で晴れてはいた。 本土の緑も、島々も、空の青も、東シナ海の霞の中に霞んでいた。 ただはるかに霞み見えるだけで。
九州や沖縄やその離島をはじめ幾つもの岬に行った。 岬に立つと不思議に独特の感慨が浮かんでくる。 この感慨は何処から来るのだろうか。
帰りは山を歩いて降りた。 少し急なところもあるがちょうど良い散歩道ではある。 目白が妙を含んださえずりをしている以外は何も聞こえない山道である。
くわづいもの大きな葉も幾つかありいかにも南国の雰囲気もするが杉が主の森である。木漏れ日はブルーヘーヅを帯び、雨が近い初夏の森の雰囲気である。 私の知らない白い花にめぐり合った。花水木のようにも思えたがもっち小さいし形も違う。
長崎の街にはハイビスカスが植えられていた。もう少ししたら花が咲くように濃い緑の葉が伸びている。 また黄色の月見草のような花がJRの線路に咲いていた。 長崎の街も那覇や南の都市と同じように道路が広い。
それも60年以上も前の戦争の跡かとも思った。
目を上げると、晴れなのに、やはり霞んでいる。 思いでも、風景も、はるかに霞み見えるだけ。
もう随分とこの山道を登った。私が若い頃は若者がこの山道を登った。 今日は殆ど老人が登っている。 本当に老人と言えるような人も山から下りてくる。 実にたいしたものだ。
小さい子供が登るのもたいしたものだが、老人が登るのはそれ以上にたいしたものだと最近おもうようになった。 私の子供も小さいときからつれて登った。多くの人からそれをほめられた。それが子供には嬉しかったようで、何かの作文の中で、最も嬉しかったことにあけていた。
翻って、年老いて登ることの凄さを、ほめられたら当人はどのように思うだろうか? 少し疑問がある。
少し大きな木があるので幹を抱えてみたら、半分も抱えることが出来なかったから、幹回りは3m以上もあるのだろう。 たいした巨木だったのだ。葉が生えているところが高いので何の木が分からない。
初夏の森は予想外の美を見せてくれる。 鶯の声も聞こえる。 リズミカルで艶を含んだ目白のさえずりが森に満ちている。フジの花もある。
そして今日、発見したのは、濃いルビー? 濃い琥珀色に見えたあけばの花である。何の気なしに頭上を見上げたら逆光のもとのアケビの花があった。 それは新緑の風に揺れる葉の波の中に輝く濃いルビーか濃い琥珀色に輝き、点々と初夏色の頭上にあった。
植物の花を逆光から見たのは初めてであり、花から出る光がこれほど透明で宝石のようであることは知らなかった。 透過光ではない普通の光で見ると、このアケビの花は濃い赤紫色をしていた。
花はいつも反射光を見ているが透過光でみるのも素晴らしいものかもしれない。
落花した藪椿もやや暗い新緑の中で華やかさを見せている。
谷に下りて見上げると今を盛りと、うわみず桜が咲いている。 花に可憐さは無いが木は硬くて材料としての価値は高い。
谷川の近くに木苺も花開き、クロマルハナバチも盛んに蜜を吸っていた。
もうすぐしたらホトトギスも鳴き交い、晴れて透明で深い色の梅雨の前のつかの間の夏が来る。
いつの間にか初夏が巡りきた。 久しぶりに御堂筋の夕方に友と飲みにタクシーに乗った。 新緑の銀杏と信号がマッチし都会の初夏の美しさがあった。
早春の花は梅、春の花は桜、初夏の花は花水木が好きである。いかにも大らかに淡いピンクに花開くDog woodはアメリカの花である。
最近、この花が広く植えられるようになった。北関東の乾いた空気にはこの花がことのほか似合うように思う。 桐生のDog woodの並木も見事である。
今年は久しぶりにワシントン、NYそして小都市に遊びに行く。日本の連休明けに前に行ったときは、初夏の明るく長い陽射しの元、それは奔放に咲いていた。 USAの田舎に行くと日本の山桜のように自生している。
ヨーロッパにもあるのだろうか。栃の木の花を2度ほどレマン湖のほとりで見たが。
宇都宮の栃の花はもう開くのだろうか。銀座の栃の花は思いのほか小さかったが。東京駅の日本橋側には菩提樹もあるし、作られた街もこの時期はことのほか美しい。
巡りきた新緑、花の初夏の値千金の季節、日々ではある。
マイレージを使用して海外旅行計画を進めている。 手続きが中々面倒である。国内のマイレージもそれなりに面倒であったが、海外はより大変なようである。 この最大の理由は申し込みの全体の流れが見えないことである。 全体を見ることも可能な場合もあるが、Dataを入力しないと先に進めないことが最近、特に多くなった。 これは確かに確実な方法ではあるが、しかし、全体が見えないなんとなく不安でもあり、面倒な理由でもある。
これはPCの欠点でもある。 本であれば何冊も机の上に広げて、適宜、必要なところを選択できる。 PCの場合も他の画面も見えなくもないが、何冊もの本を机の上に広げるのとは違う。
私はPCは3-5台くらい必要なのではと思う。 色んな案を練ったりするとき、従来であればいく種類ものdataや本を机に並べて検討してきた。同時並行的に仕事をしてきた。しかしPCは1台しかないので、何かを探そうとすると、それを広げておくことは出来ない。
PCは人間の思考や行動の幅を狭めるのではと思っている。
株が何で下がるのか、またなんで上がるのか理解できないことがある。それは全体の動きが理解できていないからである。
兎に角、フレームワークというか全体の概念、全体の構図の設計思想と、私、使用者の発想が異なると厄介ではある。
設計者の思想がNeedsによるか、Seedsによるかで、利用者は混乱する。 これはSeeds設計? それともNeeds、あるいは混合思想による設計?
使いにくい機器があるとすれば大体はSeedsに由来するが、Needs由来の場合でもそれは人により異なるので、かえって使いにくいことも多い。
なんとか海外の航空会社のマイレージを活用して旅行に結び付けたい。
昨日は午後から春の熊野に雨が降った。 新緑と桜が点々と花開く山なみに雨が降ると、それはすぐに霧として立ち上る。
その霧はスーと流れ私の手の届くところまできて、消えていった。
晴天の群青の空と海も素晴らしいが霧が沸き立ち、霧が流れる雨の熊野は神々しくもある。
古人が熊野に魅入られたのが分かったように思えた春の雨ふる熊野であった。 鶯もなき一際際立つ目白のさえずりも春の雨の中にあった。
盛りを終えた桜の花はその中をへん翻と落ちる。 雨に落とされるわけでもなく、おのずからへん翻と数限りなくゆっくりと自信をもって仕事をなし終えたように落ちてゆく。
霧湧き立つ熊野の春の夕暮れであった。
初めて島なみ街道を通り四国に渡った。橋からの瀬戸内は素晴らしいの一語である。
松山城にも約30年ぶり。 桜も開き改めてその威容に圧倒された。 城には桜がよく似合うとは本当のことである。 晴れた伊予の春に城も桜もその美を最大限に表していた。
金毘羅さんにも初めて行った。階段を登り奥宮までたどり着いた。ここでも桜は花開き、早咲きの華麗なやや濃い桃色の桜は花吹雪となって舞っていた。
桜はもしかしたら石垣と合うのかもしれない。気分的には伸びやかな春の里山や山中に会うようにもおもうが。
桜は人の化身であると西行は感じ、それゆえ彼は桜を愛したとのことである。そして桜は人の遺骸がその地中にあると華麗に咲くとのこと。 城の桜はそれゆえ華麗であるとのことである。 これは昔NHKで聞いたはなしであるが、それから夜桜は怖くなった。 確かに夜桜はなんとなく白の中に怖さがある。
今回は四国の讃岐うどんを期待したが、太いさゆえの固さはあったが本来の腰はなく、がっかりした。 こうした粗野な味になれるとその美味さが分かるかもしれないが。
瀬戸大橋は何度も渡ったが、ゆっくり走ると更に瀬戸内海の美しさがさらに見える。 両橋とも自然の島を越えた高さにあり、人の力の凄さを感じさせるものがあった。
人は月にも行けるしある面では当然でもあるが。 しかし、その人も人を滅亡させるほどの核を持ちながら更にその獲得に励むとは、人とはなんとも御しがたい存在である。
久しぶりに北関東に遊びに行った。 伊丹から飛行機で羽田に降りたら底抜けの青空であった。伊丹は暗く名残の雪が舞っていた。
羽田から群馬の榛名山ろくまで。 そこで私の中学時代の先生---海外でも知られた陶芸家でNYのメトロポリタン美術館にも収納された作品もある---の弟子が陶芸を開いているとのことで、友を誘っていった。 山の中で、私のアメリカの友と同じ感じの家であった。暖炉でマキを炊いて。アメリカの友も家にいるときは年中、マキを炊いていた。
そこで美味いうどん---これは中学高校の同期の友の家で100年ほど前から作っているものと、ふきのとうなどの山菜のてんぷらも頂、美味さに感激。
作品も立派で椿が生けられていた花瓶を買ってきた。 屋外の気温は低かったが燦燦とふりそぞぐ太陽のためか、寒さは感じない。
このひろい底抜けの群青の青空は関東の宝物である。
それにしても北関東は広く素晴らしい。心も広がる。
よく行く紀伊長島の磯に行った。 岡を登り、急な崖を降りると透明で、深く群青のあわ立つ海が広がる。磯は海岸段丘になっていて、下の段で波が思いよらずに高くなると靴をぬらしたが海水の冷たさはない。波にぬれてもなんともない。 メバルとベラがつれた。メバルのみ持ち帰る。
この地の春は早い。鶯もなき目白も初夏の多彩な彩りを思わせるさえずりを始めている。 木苺も白い花を開き、ネジキは新芽を伸ばしている。 うばめがしも大きく新芽を出している。 不思議なことに新芽を出している木とそうでない木が隣どうしでもある。新芽はもう20cmくらいもある。
梅は既に散って、道端に植えられた河津桜は満開、ところどころつつじも咲いて、山桜の新芽も出ていた。桜ももうすぐだ。
空飛ぶ鳶は恋の季節か、2羽ですこし霞がかかった空に消え入るように飛んでいる。
昼前は晴れすぎて全てが霞みの中にあったが、夕方は霞も消えてくっきりと晴れ、水平線がくっきり見えた。これほど遠くの水平線をみたのは初めてかもしれない。 天草でも海に沈む夕日と遠くの水平線はみたが、これほど遠くまでは見えなかったようにも思える。海に没する太陽とその後の星空は華やかで饒舌だ。
この岡から見る夕方は太陽が山に没するから静寂な夕方だ。 夕焼けもなく、夕暮れになるこの海と空は静寂が領する世界だ。
毎年巡り来る季節ではあるが春は何かしらやはり心浮き立つ。 月は満月ですこしかさを従えた朧月であった。
先週は何度か東京に行った。東京らしさは丸の内だろうし、新橋から出る「ゆりかもめ」でもあろう。 丸の内の風景は見慣れた風景の快適な人工の空間である。
ゆりかもめから見る東京は海の水と空と植えた植物を除いて全てが人工の構造物である。 大地も建物もそして建物内の空気も。
人はやはり人工の物を本質的に求めるのであろうか。 音楽も文学も都市も人工のものである。人のみが己の創造物を利用することを好むのかもしれない。 無人のゆりかもめから見る東京は人も多数見えるが、なぜか人間らしさはない無機の空間である。 ただ活動的な人が住み、活動する、整然とした空間がある。
この街を何度か歩き回ったが、病人がいることも、ましてこの街で人が死ぬとは思えぬような、緑はあるが、無味の街である。 人の老化も全く感じさせないような時の無い空間が広がる街である。
丸の内も整然とした街ではあるが、人の怖さが見える街である。 その意味で人間くささの強いまちである。監視がきつい街でビルの警備も凄い。 丸の内は一見、綺麗ではあるが人の底知れる怖さ、恐ろしさが図らずもにじみ出る街である。 それでも、それを忘れると、快適な空間が広がる。
それでもここで生まれ、ここで育った人は自然をいかように思うのだろうか? 山育ちの私はこうした人工空間も好きではあるが、森閑とし、時たま鳥のさえずりのみが聞こえる檜の森も我を忘れさせてくれる。
人は途方も無いことを考えるし途方も無いことを行う。東京は人が考えた結果ではなしに、自然発生的に発展した街であるが、ゆりかもめが通る周辺は全て計画された街である。 一歩一歩の積み重ねが巨大なものを作る。なんとも恐ろしくもある。 熊野の石畳の道も、万里の長城も、ドイツのアウトバーンも。
夢の島は昔、ゴミの島であった。ゴミで大地を作ることなどよく考えたものである。
人は近い将来に火星に住むかもしれない。それも以外に近いようにも思える最近の東京である。 お台場と同じような空間を火星に作るかもしれない。
余りの天気の好さに、琵琶湖への道を歩いた。 それでも午後は晴れすぎたためか,blue hazeの向こうに比叡と残雪の比良連峰が霞んでいた。
琵琶湖には驚くほどの水鳥がいた。 黒と白の金黒ハジロが特に多くいた。それが気分的には数万羽、湖上を高く低く飛びまわっていた。 こんなに多く飛び回るのを見るのはもしかしたら初めてかもしれない。 北へ帰る準備なのだろうか。
鳥の群れが素晴らしいと思ったのは、知多半島から伊良子岬に船で行くとき、驚いた海鵜が海から一斉に飛び立ったことがあったが。
湖岸に生えたヤシャブは花芽を来た春に揺らせていた。
湖岸からの帰り道、目を上げると広い畑は麦の春色に染まっていた。
この緑はこれから更に深まり、目にしみる緑になる。 この麦色には春が空に登った朧月も似合うかもしれない。
そして全てが春色に染まる頃、麦は麦秋の波となる。
人の興味は思わぬものから決まるのかもしれない。 子供のとき、兄たちはやじり集めが好きであった。 これも何ゆえそうなったかは分からないが、兄の遊び仲間はやじりできそいあっていた。 また化石も好きであった。 綺麗な木の葉の化石も家にはあった。
そんなことが影響したのか、私は山の生成にも子供のときから興味があった。 それは今でも続いており、岩石の美しさにも惹かれる。 化石の不思議にも惹かれる。
岩石は地球の営みそのもので、そこに地球の営みが凝縮している。 熊野の那智黒も素晴らしい黒である。これほどの黒がどうして生ずるかと思うほど黒いものがある。漆黒という言葉は漆から来た言葉だが、石黒という言葉もあるとおり、黒が凄い石がある。
熊野には緑かがった石もある。この石は全体的には緑かがっているがそこには微細な模様があり、その模様は堆積と風化と圧力により変化し私の目の前にある。 なんとも素晴らしい石である。 熊野の七里御浜にはこうした過去を持った石が散らばっている。石は熊野の荒波に磨きをかけられすべすべの表面をしている。また潮にぬれて思わぬ色と深みをだす。
陶芸は人の手と土と炎の結晶であるが、石は地球の営みそのものである。数年前、仕事の合間にナイアガラに行った。 驚くことにアメリカ側には珊瑚の化石があった。 その旨をアメリカの友に話したら、彼はアメリカの地質について話してくれた。
アルプスは石灰岩から作られているとのことでスイスでも化石を探したところ、骨を含んだような石片があったが、それが何であるかは調べていない。
熊野市周辺の岡は昔、海底であったことを留めている。恐ろしい力がこの地に働き、この地が作られていることもわかる。
硬い石も、そして華やかな花も、やはり地球のそして宇宙の創造物である。しかし、もしかしたら花は地球のみに存在するものなのかもしれない。
不思議なことに不思議なことに異なる元素が集まるとそれは意志を持ち出す。花も植物の強固な意志の一つである。 人もその一部だが。
同じ元素が集まっても意志は無いのかもしれない。ダイアモンドは炭素でその個性は強烈には示すが、それが来年になっても増えることはない。 花は来年にはその子孫を増やそうという強烈な自己主張でもある。
しかし、山茶花のように単に咲くだけの花もある。
昨日、琵琶湖に散歩にいった。 白鳥が来ていた。 春の陽光を浴びて白鳥の白さが際立って綺麗であった。 すぐそばまで来て逃げようともしない。彼らは人を怖いとは思わないのだろう。
野鳥に対して優しくなったのは何時ごろだろうか。 少し前までは野鳥は食べる対象であった。 30年ほど前、はじめてアメリカとヨーロッパに行き、公園で野鳥に餌を与えているのを見て、彼らの豊かさに少し参った。 特に、当時の西ドイツの豊かさには、同じ敗戦国でありながら、彼らの心の豊かさに、参った。
まもなく、日本でも特に水鳥に対して、優しくなった。
数年前、ジュネーブに1週間ほどいた。 レマン湖のほとりで鴨などが雛を孵していた。 誰も意地悪もしないし、犬も彼らを食べようとしない。 そして犬は放し飼いで道路を散歩して、人に対して当然、ほえたりもしない。
そういえばも、犬が泣き叫んでいるの日本だけかもしれない。日本でもいづれ犬の訓練が進み放し飼いで道路を人と散歩するようになるかもしれない。
貧しさは全てを食べる対象に見るのかもしれない。豊かさは心を優しくするのは事実である。
失われた10年の世代の課題を克服し、また心優しき時代を作らねばならない。
天高く、環を描きながら飛ぶ鳶の目に去来するものはいったい何なのであろうか。
夏の熊野の群青の空に飛ぶ鳶はもはや黒点でしかない。双眼鏡でみても小さく見えるに過ぎない。 透明で藍色の海と群青の空のはざまで、ゆっくりと大きく環を描き、空に消え入るほど高く飛ぶ。
熊野は高い山と海が接近しており上昇気流が発達しやすいので、彼らが空高くとぶのには好適なのであろう。
El condor pasaは哀歓を伴った名曲である。 日本の鳶にはもう少し明るさと大らかさが伴った歌が似合うように思う。 elはスペイン語の男性名詞の定冠詞であり、鳶の仲間のコンドルはさすらいの男のイメージがあるのであろう。鳶の一羽で孤独に環を描きそのイメージは同じだ。
あれだけ悠々とした行動が取れる動物はいるのだろうか。はともカラスも忙しいし、もしかしたらアキアカネが同じようかもしれないが。アキアカネの目は記憶にあるが鳶の目はどんな目なのであろうか? 猫目石のようにきらめく目なのであろうか。
早い春の陽光が燦燦と降り注ぐ熊野の海を、また遠い目で見てみたい。 春霞に煙る海も潮騒を聞きながら見て見たい。
熊野の七里御浜を歩いていたら変わった鳥がいると思った。 青さぎにしては大きいし、近づいてゆくと、それは鹿であった。 見える確度から鳥のように見えたのだった。 角は生えていなかった。
私が鹿であることを認識した頃、鹿も私を認識した。 彼は私と反対側の浜に逃げるのではなく熊野灘に身を翻した。
あっという間に沖まで泳ぎ、流れに従って北上していた。双眼鏡でみたが何の苦も無いように泳いでいた。
これを知らない人がみたら、熊野にネッシー? はたまた、クマシー? なんて。
確認は大切なことである。 高校のときの物理の先生は人魂に興味があり、自分でも見たいと思い自転車も無灯火であった。 ある6月の雨の夜、先生は人魂に遭遇したと思った。 提灯がそれであった。2人で提灯を持ちながら歩いていたのを遠くから見ると、人魂に錯覚したとのこと。提灯は角度により2つにも1つにも見えた。
人魂のように青い尾を引いているようにも先生には思えたとのこと。先生は度胸を付けてそれに近づいて、提灯であることに気がついた。
東京文理大での立派な物理の先生であり、後に名門校の校長にもなられた。
春風吹いて、海鳥鳴いて、学生服とセイラー服が、遠い目をして、海を見つめる、それが熊野の春の訪れ
空が深まり、アキアカネ飛びかい、夜空の花火、あなたの上に、それが熊野の秋の訪れ。 遠い潮騒、あなたの吐息、それが熊野の秋の訪れ
漆黒の夜、闇は煌き、人の祈りに蝋燭揺れて、揺れる炎に心も揺れて、祈りの空に君の名呼べど、こだま返らぬ熊野の海
何時頃からかこの山道が好きになった。駅を降りて山に登り幾つか先の駅に降りる。山道は思いもよらぬほど山深い様相の谷川沿いにある。 谷川沿いには幾つかの人工の池がある。多分、日照りの時の農業用水の確保のためであったのであろう。そしてそれは全く予想外の所にもある。山の奥の川の源流にあることもある。
昔、地図を見て小さな池を見つけ、そこに行こうとしたが見つからなかった池があった。余りにも水量が少ない川の源流にあったのでその川を遡行する気にならなかったのである。 それは山から下りてくるときに見出した。深い木立に囲まれた川の源流にあった。
このときは息子と行っていた。それは、私にとっては、幻の池である。山の緑と空の青をうつす深く透明な青い池である。この青は沖縄の海の青にも近い。この周辺の山は石灰岩からできているので石灰岩の影響なのかとも推測したりしている。
この周辺の谷川の水も美味い。この山の反対側は酒どころの伏見になるわけでありそれも納得である。
幾つかの木立に覆われた小さい社がある。楓もある。初夏には山歩きでほてった体を適度に冷やしてくれる。緑陰の社に蝋燭を上げ揺らめく動きを見ると何も思い浮かぶものはない。
この池の周囲の山に登ると琵琶湖と滋賀県を取り巻く山が見える。その当時、幼かった息子も思わず山は綺麗だと発した。山桜も咲いていた。
更に登ると檜の森になる。ただ森閑として時たま小鳥の声がする。6月ごろになるとblue hazeがかかり木漏れ日が一直線に天から降りてくる。この檜の森に腰掛けて無為に時間を過ごすのも、また一つの楽しみでもある。
正月は地球が太陽に最も接近する日である。 太陽の引力に引き寄せられた地球はその反動で正月を期して、また壮大なる門出の旅が始まるのだ。
正月が年の初めとは、解き放たれた地球の宇宙への旅立ちの始まりなのだ。7月の最初を年の初めとしなかったことは、スタートとはやはり親離れのイメージからなのであろうか。
7月からは解き放たれは地球はまた母なる太陽の引力に引き戻される旅路につく。
地球は自転し,公転しその歴史を刻んできた。地球を一つの卵とすれば、それは細胞分裂を重ね現在の大陸と海があり、そして人をはじめとする生物がいる。
人類は誕生以来、殺戮を繰り返しているが地球が一つの卵細胞であるのなら、いつか地球に羽をはやして太陽系から離脱する日が来るようにも思うえなくもない。
昨日は紀伊長島の小さな岡とその磯への釣り行き。 Inter netで調べると小雨後曇りとのことでそれを信じて出かけたところ驚くほどよくあたり、雨が上がった後の曇り空であった。
小さな岡のふもとには藪椿があり既に幾つか花開いていた。岡の海に面した崖は地球の恐ろしいほどの営みを示すようような地層が荒波でむき出しになっている。 その崖に海が打ち寄せ海は粉々に砕け白色の水しぶきになり、そして何事も無かったようにまと元の透明で深いブルーの海に戻る。
そこで今年初めての釣りをした。大きな狐メバルと少し大きなグレは持ち帰った。大きなベラもつれたが逃がした。 小さなグレも逃がした。
グレの目はその住む海のように青く深くそして透明だ。
崖を登り岡の頂に立つと曇り空が海にも山にも何処までも広がっていた。遠くの山なみは霧に隠れ見えない。 鶯の笹鳴きも聞こえる。
名前の知らない鳥のさえずりも霧が流れる岡にこだましていた。初めて聞くなんとも流暢なさえずりである。
もう少しすれば鶯の笹鳴きもさえずりに変わる。 祈りの地の春はもうすぐなのだ。
老婆たちが桜の下で輪になって踊る熊野の春はもうすぐそこなのだ。
今日は晴天の正月で、いつもどおり近くの山に登った。京都と琵琶湖が見える祈りの山である。
落葉した幾種類かの木には既に薄紅く芽の元や、黄色に近い花芽が出ていた。寒さはこれからが本番なのであるが、これらの木々は既に春の準備が進んでいる。 こうした木々の根元には少し残雪も残ってはいるが。 植物の中の水は不思議なことに氷点下になっても凍らないのであろう。
山頂からは琵琶湖とその奥につならる国境の雪に覆われた山も見えた。 余りに晴れたのでそれは厳冬の山というより早春の山に見えた。
やはり、冬きたりなば春はもうすぐなのである。
陽光が燦燦と降り注ぐ早春の熊野も素晴らしい。
また、根元は全て雪の3月末の霧が峰の唐松がその枝先を赤茶色に変えるもの素晴らしい。
春はもうそこまで来ている。
旅行して思うことは幾つもあるが、よくここまで古人はきたな、と思うことがある。 この夏、中尊寺周辺にいった。 私は飛行機と車を使いかの地に行った。 芭蕉の句碑の眼下には北上の流れが広がり、それは時間を感じさせずにゆっくり流れていた。
よく義経はここまで、また藤原討伐軍もよくここまで来たとも思った。
数年前、社用で接待を受け、山口県をドライブした。このときも良くここまで関東の武士が来たと関心した。 遥かな関東から。
乗り物は馬、あとは歩くのみ。弓矢を持ち、食料は現地調達であったのであろうか? どのような方法で煮て食べたのであろうか? 追うほうも追われるほうも。
モンゴロイドの移動に比べたら桁違いだが。
我々の体には1000kmぐらい足で移動する能力は今でも十分にあるのかもしれない。
冬の熊野、七里御浜に始めていった。海は凪いでおり、岸の少し向こうは波も無くこれが海とも思えぬほど静かであった。 しかし、海岸には透明でクリーンで青い強烈な波が打ち寄せ粉々に砕け散っていた。 海岸からほんの10m向こうは波もなく穏やかな海なのに。
うねりのせいか、黒潮の流れの影響かは不明ではあるが、この静かな海から、海岸にあれほどの波を想像することはできない。 琵琶湖であれば湖岸に打ち寄せる波が強いときは沖合いの波も強い。
七里御浜の海は違う。ほんの10m先は穏やかなのに。 そこには恐ろしいほどのエネルギーが潜んでいるようだ。
熊野にはスイセンも咲いていた。 もう春なのか。 ハイビスカスも咲いていた。熊野の海には珊瑚もいる。ここはやはり南国なのだ。
近江八幡の八幡山に登った。 楓が深紅からオレンジ色まで種々に紅葉し、秋の日本の風景をかもし出していた。
素晴らしい楓の秋である。 楓は石垣に似合う。 それも苔むした石垣が似合う。八幡山はまさにそうであり、石垣と紅葉した楓の景勝地である。
この石垣は悲劇の豊臣秀次の城跡の石垣である。
桜は人の遺骸が土中にあると美しく咲くという。 桜は人の化身でもあるとして西行は特に愛したとのことである。
楓ももしかしたら遺骸や血があると美しく紅葉するのかもしれない。楓の深紅は血の色でもある。
来年の春の桜の時期にも登りたい。 この山の桜はことのほか美しいかもしれない。
また、山頂の休憩所で過ぎ行く晩夏の近江の強い雷雨を体験したい。 近江の雷は強烈である。 過ぎ行く晩夏の雷雨は若くして死んだ秀次にあうようにも思える。
昨日の富士は絵のようなという言葉が似合う富士であった。 雲ひとつない青空に、山頂に雪を頂いた富士があった。
この青空は表日本に見られる青空で、明るさに溢れた青空だ。
この青空が好きであったが、何か物足りなさも感ずる。
北京の黄砂に霞む青空にも人を惹き付けるものがありそうである。 最初はいやであったあの空に惹き付けられるのも不思議である。 ビールを最初に飲んだとき苦くてまずかったが、今はそれが良い。 それと同じなのか。
黄砂の夕暮れは、人影も鎮んで音も感じず詩の世界である。
中国からアメリカに亡命した友によれば、ギリシァの空は昼でも星が見えるほど黒いとのこと。 一度見てみたい。
中国の凄さを垣間見る一つは願和園の池であろう。 広い池があり黄砂に霞んでいるほど広い。 その中には島もあり大きな橋も架かっている。 この池は人工の池とのこと。
そして近くに小高い山がある。 山上には神社らしき建物もある。 この山は池を作るときの土を使い作られたとのこと。
「愚公山を移す」は桁違いな話であり、子供の時、父から聞いたときは、話の広がりに中国の広さを感じた。
これほどでないにしても、それに近いことはかの地では行われていたようであり、印象に残った。
子供のとき、父や年の離れた兄から「二つの太陽」、「塞翁が馬」など、幾つもの中国の話を聞いた。
願和園の木々の葉は粉が薄っすらとついていた。黄砂である。砂と書くとざらつくとの印象もあるが、砂ではなく、粉であった。 黄色の粉で、キナコと同様の荒さであった。
この黄砂に霞んだ夕暮れの景色には詩がある。
最近、海を越えた山の景色が好きになった。
黄砂に鎮む夕暮れも思いを広げるものがある。
ナスカの風景は多分、青い空の乾いた風景であろうが、黄砂に鎮む夕日も人の思いを無限に広げるものがあるようにも思った。
「愚公山を移す」、「二つの太陽」などは人の信頼をベースに人の行為を永遠化する凄さなのであろう。
一方、ガイドによると、すりやごまかしによる犯罪者も多いとのこと。 かってのローマを作ったイタリアですりで被害が多発していることと同じか?
文化の中心地は「おのぼりさん」も多数くる。 残念ながら、これを狙う者がいるのも洋の東西を問わず。
北京への入国はそれなりにまいった。 入国審査するときに並んだ列が悪かった。 審査官により当たり外れがあるのは何処の国も同じではあるが、今回は並んだ人に原因があった。 入国カードに必要事項を書かずに並んだ人たちが私の前に集団でいたのだ。多分、韓国か北朝鮮で誠に迷惑なことであった。 仕方ないので、別の列に変わったら、ここにも同様の人がいて、またしても審査が滞った。 これも韓国か北朝鮮の人。
色んな国に行ったがこんなことは初めてであった。 これも国民性なのかとも思った。 日本はこんな民族に囲まれているのもまた事実ではある。
北京からの出国にも手間取った。 北京の出国方法も良くない。 まず税関がある。 このゲートが恐ろしく狭い。 その後、航空会社のカウンターに行く。 つまり、空港の建物の入口に狭いゲートがある。 ここでかなりの人が並ぶ。
こんなsystemは最初であった。これも中国の考えなのであろうが。
その後は、もう混雑の一語に尽きる。安全チェックのシステムがうまく起動していないので混雑することおびただしい。
2008年のオリンピックに向けsystemの大改革が必要であろう。 外国へ入る航空会社や旅行者はほんの初歩的なことを学ぶ必要がある。
何事も事前に学ばずに、足の向くまま気の向くまま、それも楽しいのは確かではある。
初めて、中国大陸に行った。 北京への旅行である。 晴れているのだが、全体に黄砂に霞む北京は改めて乾燥地帯であることが認識できた。
万里の長城は山の峰峰を縫うようにして構築されており、現時点において、観光施設としては極めて素晴らしいものである。
しかし、これは紛れも無く軍事施設であったのだ。 国土、国民を守るために、膨大な金と人をかけて構築し、そこに人を駐屯せしめたのであろう。 乾燥地帯であるから駐屯兵用の水も食料も自活は不能であり、しかるべき場所から運搬されてきたのであろう。 これを構築、運営するにおいて、通信system、土木技術、運搬systemなども発達したものと思われる。 現代においても、革新技術は戦争時に生まれると言われているが、それもそうかなと、思わせるだけの迫力があった。
国というものの重たさが改めて理解できたと思った。国家を守るためには現在も膨大な金と人材を投入しているが、それは昔も同じであったのであろう。
やはり、戦争をなくす手段を具体化する必要があると感じた。
北京は恐ろしく発展しており、また広大でアメリカを越えた面もあると感じた。
産業においても、もはや戦う相手ではなく協調を考える時期なのであろう。
それにしても明治の日本はよくかかる国と日清戦争をしたものである。 当時の日本は恐ろしいほどまでに情報収集能力があったのであろう? 日露戦争などを見ると、結構あった。
昭和の日本もアメリカと戦争したが、昭和の指導者は大ばか者であったようだ。
世界の一つの都であった北京で、為政者が本人また国家を維持するのに如何に苦労してきたかが分かった気がした。
旅行の間、米国、ヨーロッパ、日本と色んな比較が思い浮かんだ。 大陸には共通する凄さがあるようである。
島国であるイギリスがいかにして世界を征服したのか、日本も再度勉強する必要があると感じた。
もしかしたら大陸の半島部分に位置する北朝鮮はイタリア、スペイン、ポルトガルがいかにして世界を征服したのか勉強しているかもしれない。
半島にも世界を征服する何かが在るのかもしれない。
北京は晴れていても、黄砂の中にあり、最初はいやであったが、あの乾燥し、全てが鎮んだ雰囲気も好きになりそうである。
黄砂に鎮しだ雰囲気は漢詩、切れのある小説が似合う雰囲気がある。
湖東三山に久しぶりに行った。 百済寺の見晴らし台から見る滋賀の地は素晴らしかった。 見晴らし台の高さが高からず、低からず、遠望するには実によく考えられた高さであった。
最も遠くに比叡山と音羽山が見えた。 これらの山は快晴の空の元、くっきりと薄い藍色で稜線と空を分けていた。 そして、稜線のしたはさらに薄く色を薄めていた。
この色は海を越えた山に見える共通の色のようだ。 尾道から見た四国連山も、伊豆から見た大島にも見られた、青磁よりさらに透明な青を含んだ色だ。
海を越えた山には透明な青がある。
海を越えた山の写真に富士山がよくあるが、透明な青は見えるのだろうか。
湖東三山は渡来人に由来するとのこと。 彼らの祖国である朝鮮半島は何と嘘で凝り固まった心寂しい国になってしまったのだろうか。
数日前からモズが高い声で鳴き出した。 もしかしたら庭で育ったモズかもしれない。
白い秋といえる時期になった。 白い秋が似合う街はどこなのであろうか。
明るくて透明でそれでいて白い秋が似合う街は乾燥したワシントンDCかな。 白色の建物と黄色の紅葉の秋、ワシントンDCは素晴らしい。
昔、白のミニスカートがはやった頃、早春の早い春に溢れた豊橋に、白のミニスカートは似合った。
昨日、久しぶりに熊野の七里御浜に行った。
快晴で風もなかったが、寄せる波は高く、それが砂利の浜に打ち寄せ、あっという間に砕けに砕け、白くなり浜に押し寄せ、そして一部は海に戻り、一部は砂利の中に吸い取られる。
時に波は思わぬところまで押し寄せる。そのたびに砂利の浜は新たな浜に生まれ変わる。 足跡はあっという間に無くなる。
晩夏の誰もいない寂しい海とは全く別の、怒涛の波が押し寄せる海があった。 もはや感傷もなく、声を上げても全て打ち消され、ただただ、怒涛の波が繰り返し押し寄せる。
感傷的になったりするのは身の丈にあった自然に対してなのかもしれない。 この時期、数年前、仕事の合間にナイアガラの滝にも行ったが、あの膨大な落水を見ると、とても滝に打たれるという心境は浮かびもしない。
それでも、ここにもアキアカネはいて、青い空、群青の遠い海、近くの緑かがった海、そして怒涛の波の上を、すいすいと飛び、やったきた秋の日を謳歌していた。
海の民は、土用波という言葉を作り、この時期の風もなく晴天の元の奇妙な現象を表したのであろう。 今でこそその原因は良くわかるが、古の海の民も古老の教えに納得したことだろう。
昨日の熊野は夏の終わりにふさわしい、霧が流れる昼下がりであった。昼過雷雨になった。
その中をアキアカネがすいすいと凄い速さ飛んでいた。アキアカネは快晴の空や茜色の夕空に飛ぶものと思っていたが、結構強い雨脚の中でも快調に飛んでいた。 一見、か弱いあの羽は少しの雨に打たれても平気なほどに強いものであることがわかった。
少し雨脚が弱くなると黒アゲハも凄い速度で飛び回っていた。熊野では凄く速く飛ぶことが生き残る上での必要条件なのかも知れない。
雨が止むと霧が立ち上り、山なみに霧が流れた。 霧は緑の山なみをblue blackに色を深め、サァーツト流れた。手の届くところにも霧の流れは来た。
それは汗をかいた肌には心地よいというより少し寒さを感じた。 もう晩夏。夏の終わりである。
夕方近く、閻魔こおろぎが霧のまちに秋を奏でていた。
駅からの帰れ道、マツムシも高い音色を奏でていた。
何時ごろからだろうか。 今年もアオマツムシが鳴きだし始めた。 たしか最初に聞いたのは20年くらい前の東京の四谷であったように思う。 東京の真ん中で秋の虫がうるさいほどいるのは驚きであった。
今の時期、会社の営業の先輩と四谷で飲んだ。 その材料は私から見ると面白く画期的なものなので積極的に研究したが中々予定通りは売れなかった。 飲みながら先輩に虫の名前を聞いたが彼は虫の音には興味が無く、そういえばうるさいほどいるなとのことであった。
私はそれを更に高度化する研究をしていた。 先輩はそれも面白がってくれた。私の研究した物は素晴らしいものにはなったが、製法が難しいことから未だ企業化はされていない。 しかし、時々社内はもとより他社からも話しはある。
先輩の担当したものはその後、飛躍的に拡大し、メインの商品となった。 しかし、その心温かで有能な先輩は数年前、癌に倒れた。
それから数年して私の庭にもその虫がきて鳴き出した。 朝日新聞か日経かにアオマツムシの記事がでた。地面ではなく木の上で生活するとのこと。
樹木の多い都会の公園でこれから盛んに鳴く。
晩夏。 秋まじか。
東北に旅行。学生時代から数十年ぶり。 温泉の凄さ、東北の奥深さにknock outされた気分である。
玉川温泉では川原にござをしいて岩盤浴というか岩陰で幾人かが寝転んで休んでいた。岩に触ると熱い。源泉は沸騰しそこからの温泉水は硫黄の通路を湯気を立てながら流れていた。その色は緑かがかった黄色で、黄泉の国への入口という言葉が合う色であった。
宿泊した鶴の湯別館の間取りはある面でアメリカのコテーイジ風に通路で繋がるが独立して作られた、ぶななどの木立の中の旅館であった。 ここの湯も熱く水で薄めることでやっと入れた。虫刺されなどの皮膚の傷やかゆみは1日の入浴で跡形もなく消え去った。
高い木々の間の夜空は、これほどまでに星があるかと思うほどの星で埋め尽くされ、そこには夜空の闇はなく、饒舌な空間があった。
幾つもの夜空を見てきたが体感的には最高の星空。 芭蕉の天の川の句も、日本海側であり、もしかしたら日本海側の星空はきれいなのかも? 日本海の空は暗のイメージが私にはあったが、そうではないのかもしれない。
季節外れの蛍も数ひき飛んでいた。 朝方には鶯も鳴いていた。
初夏の梅雨寒の頃、多分くるだろうホトトギスやカッコウの声を聞きながら温泉に入るものいいな。
また、この宿の特徴である囲炉裏端での食事も梅雨寒にはあうだろうな。 新緑の梅雨寒の暖炉の前での語らいもいいが、囲炉裏端での語らいもいい。
関西には繊細な人工の美もあるが、この地の美は強烈に人に直接的に働きかけ圧倒する凄さがある。 こうした自然の美を残すこともやはり必要であると感じた。
もう少ししたら、きのこも生えそうだ。朝の味噌汁にきのこが入っていたが、山にはいっぱいきのこが生えそうだ。熊もいるかもしれないが。
アキアカネが飛んでいた。もうすっかりアキアカネ色になったものや、未だ幼い麦わら色のものもいた。 彼らがこの地を去り、平地の空を飛び交うころには、この周辺は全て紅葉に包まれるのだろう。
多分、何時行ってもいいだろうな。
田沢湖を初めてみた。 恐ろしく青く、北の湖とも思えぬ青さであった。 あの青は田沢湖の青なのであろうか、それとも北の青なのであろうか。
その青は沖縄やその離島や熊野の青に同じ、太陽がいっぱいの青であった。
沖縄や熊野では秋や冬でも太陽が燦燦と降り注ぐ、その青が田沢湖にもあった。
紅葉や雪の時期、この田沢湖の青は続くのであろうか、それとも、紅葉や雪を映す青になるのであろうか。
紀伊長島など道沿いなどに生えるゆりが花を開いた。 道沿いなどの傾斜地などに雑草などに混じり白く咲くゆりである。 如何にも野のゆりという感じがする。それが庭でも咲いた。 純白で香りは余りしない。
山百合は純白で花も大きく、甘い香りが凄い。玄関に飾ると家全体が甘くなる感じがする。子供の頃、花びらの根元の蜜をすすったことがあった。
熊野のゆりは清楚でそれでいて気品がある。 肥沃でもない道の脇の崖などに倒れそうになりながら咲き、夏の強い太陽と、濃い緑と、群青の空に負けない強靭さと、またそれでいて可憐さがある。
そして何より強そうであり、いくらでも増えそうだ。 増やして花好きの人に送るのにも好適な花だ。
夏の雷は夏の初めか、夏の終わりに来る。 今日のそれは夏の終わりを告げるものであろう。 極めて強かった。
家の中から避雷針を双眼鏡で見ていたがが、思わず手が縮むほど今日の雷は強かった。
強い雷はワシントンDCで数年前にあったことがあった。 時期もほぼ同じで、仕事の合間の休日をワシントンで過ごした。 地下鉄の駅に近いヒルトンホテルに泊まり、地下鉄を使い色しなところ行く。
White Houseに行き、スミソニアン美術館?から出る頃には本格的な雷雨になった。それが結構ながく、猛烈な雷雨の中を地下鉄の駅に多数の人が向かった。 確かに駅は近いのではあるが、私は怖くて行けなかった。
しかし、アメリカ人は無頓着に雨にぬれながら地下鉄駅に向かっていた。 アメリカの雷の継続時間は知らない。 それでも雷は危険である。 私は美術館から駅に向かうアメリカ人に少し恐れを感じた。 彼らだったら鉄砲玉の下でも平気で行進できるのではとも想像した。
晩夏である。 波の引く音が凄い熊野の七里御浜に行って、暑さの失せた潮風を受け、あの波音を聞いてみたい。
昔と変わらぬ波音は昨夏と同じ音に聞こえ、私の魂を吸い取るほどに、きこえるであろうか。 それとも年とともに変化するのであろうか。
熊野の海に行った。 今回は泳ぎ。 今年の熊野の海には熱帯魚がいない。それでも白さを含んだ透明の蒼色の海の中にいるとあっという間に時間は過ぎる。 岩場の深いところには大きなグレらしき魚もいた。
泳ぎ疲れて、それでも岡に登ると、青の世界が広がっていた。青い海と、青い空と。風も青みを帯びている。
日光が入道雲に遮られるとヒグラシが幾重にも幾重にも鳴きかった。
熊野への入口であるツヅラト峠はblue hazeの中に、山々の鞍部に霞んでいた。熊野側から見るとツヅラト峠は重なる山並の鞍部で、古人はよくこのルートを探したもの改めて関心した。
多分、古人はこの山並を見て、ツヅラト峠の構築者に対して感謝したのでは。それでも余りに険しい山々に絶望感に襲われた旅人もいたかもしれない。
古人も見た何千年も変わらぬ熊野の夏の風景。 それは青、蒼、藍、全てblue。
紀伊長島への道すがら、ねむの木の花が咲いていた。これが日本の夏の花なのであろうか、ハイビスカスなど南国の花とは別の、清清しさと優しさを含んだ花である。
幼き日の夏休み、この木の葉を取り、「ねむれねむれ」と声をかける遊びがあった。そうすると確かにねむの木の葉は眠るように葉を閉じたように思った。子供心にもそれは面白かった。
しかし、ねむの木にはダニがいるとして母からその遊びをすることはたしなめられた。ダニは猫や犬にたかり、ダニを取ろうとすると、頭の部分は犬や猫に残った。残った頭は犬や猫の体の中に進入し悪さをすると、かのちでは言われていた。 それ以来、ねむの木とその花は遠くから見る花になった。
ねむの木にダニが多いのか、また皮膚に残ったダニの頭が皮膚に侵入して悪さをするのかは知らない。
宮城まり子さんは、歌手から大変身し、ねむの木学園を作り、障害児活動で活躍している。 彼女の歌にはそれを感じさせるものがあった。それを私は彼女の演技と思っていたが、それは彼女の心からほとばしる思いであったのであろう。
南紀は梅雨が明けたようであり、久しぶりで熊野の海に行った。 行く道すがら、改めて熊野は緑の国だと思った。 今回はJRである。 列車は所により本当に木々の間を走る。多気からは谷あいに入り、両側は見渡すもの全て緑である。
また宮川の支流・大内山川は線路沿いに、透明で澄んだ空の青さを写した透明な青いろの川が流れる。
多気から紀伊長島まで続く緑の回廊だ。鹿児島の道路は緑の回廊といえるものがある。West Verginiaもそんな感じがするものがある。
無人駅に降りたら、キリギリスが鳴いていた。幼き日、兄にせがんで捕りに行き、よく飼った夏の声を告げる虫である。
小さな岡を越えて崖を下り、磯に降り立った。 この地の崖は地震のたびに海から隆起したものからなる。 海の強烈な岩をも砕く波の痕跡を留めた磯だ。 大きなべらは、いくらでも釣れるが、大きなグレは釣れない。釣れたグレは小物のみなので皆、逃がした。 紫うにを幾つか捕ってきた。その料理は結構大変である。
海は悲しいほどに透明で、群青で、それが時に磯にあたり、粉々に白く砕け、またもとの群青の海に何事もなかったように戻って行く。
見晴らしのきく岡の頂上で休んだ。 前面の海は静かで、ただ青色に彼方まで広がって空と合体している。空海だ。その反対の山側は、熊野の山々が幾重にも連なって、遠くの山はblue hazeに霞んでいた。夏のかなとこ雲は出ていたが、はるかな雲であった。
ヒグラシが夕方の訪れを告げていた。 涼風も少し吹いていた。
何千年もの昔からの変わらぬ、梅雨明けの熊野の風景なのであろうが。
雲の合間から見えるこの青空は今年最初の夏空だ。 その夏空にアキアカネが飛んでいる。
この青空は熊野にも霧が峰にも座間味島にも繋がる群青の夏色の空だ。
いまは未だ推さない色のアキアカネが茜色になり庭に戻ってくるまでは、日本のどこかで夏は続く。
信州の強く澄んだ空もいいし、沖縄の焼く尽くすほどに強い空も、幾重にも幾重にも山が連なり、ヒグラシが幾重にも幾重にも鳴きかい、山から霧が下りてくる熊野も素晴らしい。
夏はきた。
伊豆の伊東の海岸から大島を見た。それは靄色にかすみ遠くに見えた。海を越えて見る三原山は稜線は相対的にクリアーで、全体がもやに霞む、落ち着いた風景の中にあった。
大島の右手遠くには地球の丸みの海の向こうに富士山の形をした島が見えた。手元に地図がなかったので島の名前は確認できなかったが、あまりに遠く、鳥も通わぬ島とも思えた。
この春、尾道の山から見えた四国連山も春の海の向こうに稜線はかなりくっきりとした薄い靄色に霞んでいた。
海を越えて見る山には、大地の向こうに連なる山とは別の趣きがある。霞んでいるようで結構クリアーに稜線が見える。
春から今頃までの海の向こうに見える山々はおおらかで素晴らしい。
夏や冬の海を越えた山々はどのようにみえるのであろうか。
先週、土曜日、伊豆から帰るときに見た富士は、梅雨の雲と霧を足下に従えた富士であった。 山肌は黒群青色でそこに残雪を幾筋も残していた。 富士は頂部のみを雲から出し、それ以外は雲と霧の中にあった。
頂部はくっきり見え、曇り空の中で落ち着いた富士であった。
今年の皐月、最後5/31新幹線からの富士は雲のはるか向こうに頂部のみを出した富士であった。
山肌は青に黒味かがった色であり、そこに幾筋かの残雪を残していた。 山と雲の間には梅雨の前触れと思われる空間が広がっていた。
その富士も瞬く間に車窓から消えた。
かって子供を連れてよく行った山に登った。 山は昨夜来の雨で緑を更に深め、また曇りかちであったので山道は木の下闇の様相であった。
そこに思いもかけずギンリョウソウ(幽霊タケ)が群生していた。今日はホトトギスを久しぶりに聞きたく、この山に登ったのであるが、ギンリョウソウの群生に出会うとは予想もしないことであった。 何度もこの山に登ってはいるが初めてのことであった。
高い木の間から漏れ射る木漏れ日は全体に青みかがり、久しぶりのBlue hazeであった。そのなかに目白のさえずりが聞こえ、時に、ホトトギスの甲高い声がコダマしていた。
山道沿いには幾多の刻まれた石が並び、祈りの山であることを示していた。
この地にも夏は来た。
新緑が深緑になる時期、街の緑が綺麗だ。ワシントンの緑は素晴らしい。快晴のこの時期の緑は素晴らしい。ワシントンの町は白色の建物が多くそれが緑と空の青に合う。秋のワシントンも素晴らしい。 また幾多の美術館などがある。
NYは街には緑は少ない。それでも車で30分ほどすると日本の軽井沢のような郊外となりそれは素晴らしい。そしてメトロポリタンをはじめ素晴らしいものが多数ある。
デトロイトは廃墟の街でアメリカの恐ろしさが表現されている。土地が安いから再開発の必要がない。
GM本社の前の周辺は無人の廃墟であり、ああした場所で改善や改良を考えるのは無理であると思った。 より快適な車、より安全な車の研究、デザイン、それらの日々の改善、改良には、人が作り出したあまりに荒れた環境ではは無理と思える。 それにしてもデトロイトは不思議な街だ。 芸術に関する建物もない。空港と街を結ぶ交通機関もない。
車で世界の富を集め、何に使ったのか不思議な感じがする。 ギャングの街と思っていたシカゴは湖岸も整備されているのとはあまりに異なる。
東京の高輪周辺の緑も素晴らしい。銀座には栃の木やこぶしはあるが緑の街というには程遠い。
ごたごたした街との印象の強い大阪も御堂筋の銀杏並木は見事である。銀杏はNOxを吸収することからも好ましいことであろう。 ただ、芸術に関するものは少ない。やはり衰退する運命の街なのであろうか。
桐生の街のdogwoodも素晴らしい。乾いた北関東にあう。足利には栃の木が街に植えてあるが見事に咲くのであろうか。
フランスは世界から金を集め芸術の街を作り、オランダは同様に金を集め干拓して国土をつくり、ドイツはアウトバーンを作った。日本は世界から金を集めゴルフ場は作ったが。
5/21 久しぶりに大阪から飛行機で東京に行く。澄んで群青の空を期待したが中部地方は雲があり、あまりくっきりとは見えなかった。雪を頂いた南アルプスは雲の間に見えた。
富士は濃い群青に白い雪がかかった富士だった。飛行機は伊豆の最先端あたりを飛んだので富士は小さかった。 先月、東京からの飛行機から見た富士は近くに見え、大きい富士だったが今日の富士は小さかった。
それでも今日の富士は驚くほど濃い群青の山肌に雪を残した皐月の富士であった。
東京では銀座の画廊に行く。銀座にも栃の木があり花も付けていたが小さい花であった。日本の栃の花はあんなに小さいのであろうか。
昨日は久しぶりに京都と琵琶湖が見える山に登った。
途中に幾つかの池がある。山の池は青空と新緑を写し、自然が作ったモネのカンバスのように思えた。
この地で見える今年、最後の山桜が見えた。
新緑の中の山道をさらに進むと小さな社がある。日を受けた楓の新緑が瑞々しい。蝋燭に火を灯すと、時に予想外に揺れる。願いが炎とともに天に達することを祈願し社を後にする。
檜の森が続く。檜の森はここ数十年、何も変化していない。変化しているのは人間社会のみのようにも思える。もう少しするとこの森に驚くほど青いたぶんコガネムシの一種が飛ぶ。 一瞬、人魂のようにも思えることがある。
山の尾根に出ると、鶯と目白のさえずりがあたりに聞こえるが、もう少しするとホトトギスがすぐそばににもくる。 尾根筋の植物は昔と比べ一変した。松が大幅に枯れてしまった。数年前までは枯れた松が立っていたが、それも自然に倒壊し姿を消しつつある。 松の緑が永遠なのは昔のことになりつつある。
山頂から見える京都は靄の中に茫洋と霞、琵琶湖は春の中に、地球の丸みを思わせながらやはり霞んでいた。
Dogwoodの花も開き始め、季節はすっかり初夏のモネ色。
北関東は、風吹く冬も素晴らしいし、Dogwoodが街並みを飾る初夏も素晴らしい。
冬の前橋や桐生はまさに、風と夕焼けと、星降る町。
風の中の壮大な夕焼けを黒青紫色の闇がそれこそ追いかけて、その後は満天の星で、
私にはそれを画く力はないので、何人かの方に画いてみてはと提案しました。
一度、冬晴れの夕方、桐生から前橋へドライブし、どこかに車を止めてくださ い。右手の間近な赤城山と遠くの地平線の山々と壮大な夕焼けとそれを刻々と追いかける黒青紫