遺伝子の行いを善と考えて 老とは --- 人の心を深め、また文明の速度を速めるもの
以前(2007.12.09)にも記載したが、ここ最近、遺伝子にも意識があるのではと思うようになった。 ただ、本当に遺伝子にも意識があるのかは不明であり、いつの日か、生命科学者の解明によらねばならない。 何時の日か、遺伝子の意識の有無について解明されることを祈るのみである。
その、遺伝子の一つの強烈な願望は生存者願望意識があり、その結果、人間は長生きする遺伝子を獲得した、のであると私は思っている。
しかし、人はあるときから確実に老いて、生殖能力も失う。 それは女性において明確に現れる。 男はある面で生殖年齢の限界は不明でもある。
この生殖年齢の決定は遺伝子によっているのだろう。 ここで、その遺伝子は大きな役目である遺伝子の転移が止まるのであるから。
私はこれは遺伝子がタンパク質から構成されていることが原因であると思っている。タンパク質は強靭ではあるが、宇宙線や紫外線や熱などにより変質する。こうしたものへの耐久力の限界を遺伝子は察知して己に限界を設け、己を殺すことにより種を守っているのであると私は結論づけた。
昔、尾崎和夫?か誰かの小説で、人は己のために己を殺すとの話を読んだ。 多分、遺伝子は良好な子孫を残すため必死に努力し、そしてやはり必死になり己を殺すのだろう。
そうなると、遺伝子の移転能力をなくした後の個体に遺伝子は如何なる遺伝子を残しているのだろうか。 また、個体の残された遺伝子は、遺伝子としての本来の機能を失わせた後、どのような意識があるのだろうか。
これも一つの残された課題ではある。
つまり、老いについての遺伝子の考えを知りたくなった。 以下がそれに対する私の私への回答である。
I.老いは高等生物にのみ与えられた恵みである。 たとえば、蝉は成長に成長を重ね、成虫になりあっという間に死ぬ。老いはない。盛りの中での死である。
II.人の場合、明確に老いは来る。40代位から白髪は生じ、閉経も来る。
III.その後、人は約倍以上生きる。
人と他の生き物との大きな差は文明の構築である。蝉のように盛りで死んでは教えることは不可能である。また、彼らは共に共同することもないのだろう。
この教えるということは、単に教育するということのみではない。教えの一つは、人は老いて、かつ死ぬということを自ずから身をもって教えるのである。
それにより、ある面で、ふとした時、幼い時も、若い時も、壮年期でも、人のはかなさを
人に教え、それが文明の発展の原動力になるようにしたのだと、最近思いだした。
これは、私の勝手な遺伝子の意識の解釈ではある。何時の日か、生命科学者が遺伝子の意識を解明してほしいものではある。
なお、中国人によれば「老」の意味は、日本とは異なり、「長い」という意味に近い。思えば、こうした意味を教えてくれたアメリカ国籍の中国人から日本語の「老い」に該当する漢字は聞かなかった。





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